【日本チーム、終わりました】
一夜の花火のごとく終わってしまいました。
しかしもともとは1次リーグ三連敗で帰国するはずだったのですから、ここまで戦ってくれたので大いに満足すべきでしょう。
自ら明言した本田をはじめ、多くの日本選手が今回を最後にワールドカップメンバーから外れていくことになります。ご苦労様でした。
まだまだ人材の多くいる世界です。世代交代をうまく済ませて、4年後は最初からベスト4を狙えるチームとなってワールドカップに戻ってきてほしいものです。
個人的には昔からファンだった香川真司が活躍したこと、そしてウチの婿のエージュにちょっと似ている(と私が思い込んでここ数年は入れあげている)柴崎岳が大いに名を挙げたことで、気分のよい大会でもありました。
また、私のブログには「監督の裁量」〜大迫ハンパない - カイト・カフェという記事があるのですが、ネット上に「大迫ハンパない」のまとまった内容が少なかったこともあって、コロンビア戦の際中からアクセスカウンタがうなぎのぼり。日ごろは100をちょっと越す程度の辺境ブログなのに、その日に限って3000を超える大盛況。
このうち何人かが残ってくれるのではないかと少し楽しみにしていたのですが、終わてみると潮の引くごとく何の跡形も残さなかったことには、ややびっくりしました(マア、そんなものだな)。
【来た時よりも美しく】
ベルギーとの試合はあわやというところまで相手を追い詰め、海外のメディアでも大絶賛です。1次リーグ最終戦での汚名をすすぐことができて、その点でもホッとしています。
さらに昨日はネットニュースに、「敗戦直後、日本代表がロッカーに残したメッセージに世界が感動(ワールドカップ)~『メッセージは桁違いだ』」という記事が出ていて、私の心をゆすぶります。
記事によると、ベルギー戦の終わった直後、日本チームのロッカールームがきれいに清掃されていて、しかも入り口側の棚の上にはロシア語で「スパシーバ(ありがとう)」のメッセージの書かれた紙が残されていたというのです。
記事に添付されていた写真があまりにもきれいなので、もしかしたらスタジアム建設時の資料写真ではないのかと思ったのですが、手前の棚に置かれた紙には確かに「スパシーバ」と書かれていますから昨日のものでしょう。それにしても見事です。
そう言えばセネガル戦の前日会見で、吉田麻也がイギリスメディアから「なぜ日本人はそのようなことをするのか。吉田自身も試合後にロッカールームを綺麗にするのか」と聞かれてこう答えたのを思い出します。
「おそらく僕たちのロッカーは試合後、イングランドのプレミアリーグのロッカーと比較すると非常に綺麗かなと思います」
「ピッチ外での日本人の行いがこうやって世界に讃えられるっていうのは非常に誇らしいことです」
「また、それが派生して、違う国のファンの方々も同じようなことをしてくれているっていうニュースも見ましたし、非常に誇らしいなと思います」
「日本には、来た時よりも美しくという言葉があって、来た時よりも美しくその場を去るっていうのが美学としてあるので、そこが日本のサポーターに染み付いているんじゃないかなと思います」
選手のロッカールームに関しては、世界に対して公言したことですから果たされなくてはなりません。もっとも公言しなくても日本チームのロッカーはいつもこんなふうにきれいになっていたはずです。
また「来た時よりも美しく」が世界に紹介されたことも喜ばしく、今後大きく取りあげられて「MOTTAINAI」に匹敵する流行語になるといいな、とも思いました。英語で言うとどういうことになるのでしょう?
サポーターによるスタジアムの清掃というのも次第に広がりを見せているようで、コロンビア、セネガル、ウルグアイ、サウジアラビアといった国々のサポーターの一部が、観客席の清掃をして帰ったといった話が出ていました。そう言えばサウジアラビアではかつて日本式教育に感動して、一部の学校が清掃活動を始めたという話がありました。そうした教育が実りつつあるのかもしれません。
「悪貨は良貨を駆逐する」――悪いものは良いものに取って代わるのが当然といった言い方をしますがそうではありません。文化や科学は水と同じで高い方から低い方へ流れるのです。日本の掃除文化が世界に広がるよう、心から願います。
【この経験を道徳の授業に】
私は現場にいたころ、年がら年じゅう朝から晩まで「明日の朝の会ではどんな話をしよう」と考えているような教師でした。ですからワールドカップの清掃のような話にはすぐに飛びつきました。あるいはこの件は、量的に大きくなりそうですから「道徳」の教材に回したかもしれません。「道徳」も大好きでした。
しかしこれからの先生たちはどうなのでしょう。
特別な教科「道徳」ではきちんと検定を受けた教科書が用意されます。また最高裁の判例によれば教員には教科書を使う義務がありますから「自作教材」の入り込む余地は極めて限られます。そもそも教科書を使った学習のための教材研究をしなくてはなりませんから、「ワールドカップ、来た時よりも美しく」などといった一級の教材も、検定教科書に載るまで待つしかないのかもしれません。そうだとしたら、全く惜しいことです。
(参考)