「不道徳な人間に道徳を教えられる」~ワールドカップ清掃の何が悪い!①

 残念ながら昨夜のコスタリカ戦は零封殺。
 しかし負けたスタンドとロッカーで、そのあと黙々となされたことがある。
 その場を清掃し、整えることだ。
 この美風に、何人たりとも、ケチをつけてはいけない。
 という話。(写真:フォトAC)

【封殺されたそのあとで】

 生粋のコンジョウナシで、期待が裏切られるのが怖いばかりに昨夜も午後7時のキックオフをリアルタイムで見ることができず、NHKニュースを見たあとで30分ほど家事をし、8時からは「鎌倉殿の13人」で実朝が暗殺され、公暁が惨殺されるのを見たところでチャンネルを変えると、間もなく日本代表がカタールで封殺されてしまいました。
 どうやら日本チームは私が見ていないと勝つというのは思い込みで、私なんぞが見ていようがいまいが、勝つときは勝ち、負けるときは負けるようです。当たり前ですが――。
 しかし勝っても負けても、現地の日本人サポーターや選手には、試合のあとやるべきことが残っています。スタンドとロッカールームの掃除です。悲嘆にくれるその時間を、間違いなく黙々とゴミ拾いしているに違いありません。

【不道徳に道徳を語られる】

 話を4日ほど戻します。
 水曜日、勤労感謝の日の夜、布団に入ったままワールドカップ・サッカーの日本対ドイツ戦を見ていたのですが、前評判通り一方的に押しまくられていて、1点取られてなお状況が悪くなり続けたのでハーフタイム前にスイッチを切って、寝ました。贔屓チームを最後まで見届けられないコンジョウナシです。そして朝、起きたら世界が変わっていた――。

 その日のテレビは朝から晩まで日独サッカーの話ばかりで、堂安も浅野も、一生分のシュートを一日で決めているような有様、やがて夕方あたりから外国メディアは日本人サポーターがいつもの通りスタジアムの清掃を行ったことを尊敬の念をもって報じはじめ、遅れて選手たちのロッカールームが使用後、異常な美しさで清掃・整頓されていたという写真も出回って、いつものことですが、無関係な私まで、ちょっと鼻の高い気分でした。あのオリヅルもとても良かった。

 ところがその日のうちにヤフコメ(Yahooニュースのコメント欄)あたりに、「ワールドカップでは掃除をするが、Jリーグの会場は汚いまま」だとか、「使ったところをきれいにするなら、渋谷ハロウィーンはどうなんだ」とかいった、ケチをつける意見が散見するようになり、翌金曜日、大王製紙の元会長がツイッターで、「こういうの気持ち悪いからやめて欲しい」「ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性」などと投稿、さらにサッカー場のゴミ拾いを褒められて有頂天になる日本人が悲しい そんなちっぽけな自尊心が満たされてうれしいか?」と重ねて投稿すると大炎上となり、一部には支持する意見も相当に流れたとか。https://twitter.com/mototaka728

 そうかと思うと舛添要一・前東京都知事ツイッターで、
「日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ。身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう。文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」https://twitter.com/MasuzoeYoichi
などと投稿し、それを読んだ瞬間、私の頭の中で数十か所の回路が一瞬にして切れました。

 一方は会社の資金100億円以上を引き出してギャンブルに使い、もう片方は税金から1年間で6000万円もの出張費を使い、湯河原と都庁の間を公用車で通い、大量の美術品や書籍を公費で購入した男です。こんな連中に道徳を語られ、しかも対象が私の最も大事にしているワールドカップ・サッカーやラグビーのサポーター・選手の話だったのでキレたのです。
 こんな美しい、道徳的な話に、なぜ小便をかけるような仕打ちができるのか――。

kite-cafe.hatenablog.com

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【美しいもの、道徳的なものを無条件で守る】

 そもそも「道徳教育」というのは美しい生き方・勇気ある生き方・価値ある生き方を学ばせ、「(今はできないにしても)自分もかくありたい」と強く願わせることを目的として行われるものです。
 道徳の授業なんてきれいごとばかりで実社会を反映していないとか、立派な人の話ばかりでさっぱり面白くないとか言う人がいますが、きれいごとだからいいのです。

 「開運 お宝鑑定団」の中島誠之助さんによりますと、鑑定師はよいもの、一流のものだけを見て育てられるのだそうです。本物だけを見て育った目には、偽物・まがい物はすぐにピンとくるのです。目が濁っていないので汚いものは嫌悪感をもって反応します。それと同じで、子どもたちは、善きもの、美しきもの、価値あるものだけを見て育たなければなりませんし、育つ権利があります。

 ナイチンゲールシュバイツァーマザー・テレサも、みんな幸福な子ども時代・青春時代を過ごした人たちです。そうした育ち方をした人たちの目に、貧しさや悲しさ、不幸な様子は実態以上に大きく映ってきます。そして嫌悪感が走るのです。貧しさや悲しさ、不幸そのものに対する嫌悪です。だから彼らは生涯を嫌悪するものの撲滅に捧げることができたのです。

 そうした観点から考えると、ワールドカップ(サッカーやラグビー、そしておそらくその他でも)でサポーターや選手たちが世界に見せる姿は、ほんとうに大切にしなくてはならないと思うのです。
(この稿、続く)