カイト・カフェ

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「持って生まれてくるもの」〜親の育て方で何とかなるというものではない

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ウィリアム・アドルフ・ブグロー 「我が子を見つめる母親」(パブリックドメインQ)

【“良い子”を見せびらかすハーヴ】

 娘のシーナが孫のハーヴを連れて里帰りしました。大型連休中は風邪気味で帰ることができなかったからです。
 あいにく私の妻が土日と超多忙で、それもあって車で1時間ほどのところに住む妻の姉の家に行ってきました。前にがんにかかったと紹介した人です。シーナは子どものころから第2の母のように慕っていて、人生の節目節目に必ず相談をかけていた人です。
 私たちが行くと連絡すると義姉の娘(シーナの従姉)夫婦も顔を出すことになり、その子である4歳の娘も喜んで車に乗り込みました。ところがあと数分というところでその子は眠ってしまい、私たちが帰る段になっても起きてくることはありませんでした。
 つまり大勢の大人たちに囲まれて孫のハーヴは一人チヤホヤされることになったのです。

 子どもというのは不思議で、いったん「良い子スイッチ」が入るといつまでも「よい子」です。義姉の家に置いてあった列車のおもちゃで「ガタン、ゴトン」と気持ちよく遊び、義姉がからかったりちょっかいを出したりしても、嫌がることなく楽しく受けごたえしたりしています。
 そのうちシーナが「さあ、いったんお片づけをして――」というと、「ハーイ」とか答えて列車をおもちゃ箱に戻したりします。その様子を見て義姉が、
「ホラ、やっぱり躾がいいと違うわねェ」

 その誉め言葉にちょっとした棘があるのを私は感じました。別室で眠っている孫娘について、義姉が日ごろから“とにかくわがままで言うことをきかない、そんなふう育ったのは親、特に男親の子育てが甘いからだ”、不満を募らせているのを知っていたからです。
 婿に言わせれば嫁がきつすぎるから自分が甘くならざるをえない、ということになるのですが、どちらの言い分も分かるような、いやそもそも4歳の女の子は生意気盛りでそんなものだというような話なのかもしれません。
 誉められるのはうれしいにしてもしかし巻き込まれて得な話ではないので、私はすかさず、
「いや、ハーブは最初から育てやすい子だったから――」
と一応その場を取り繕っておきました。

【産まれた段階で育てやすい子とそうでない子がいる】

 ハーヴが最初から育てやすい子だったというのはウソでも偽りでもありません。母親のシーナ自身がそう言っています。
 乳児のころからよく乳を飲んでよく眠る子でした。夜泣きや突然のギャン泣きはもちろんありましたが、だいたい理由ははっきりしていて対応の仕方も推察ができます。
 行動は慎重派、悪く言えばビビリなので危険なことはせず、風邪などの病気はしてもケガをするということはありません。余計な心配をかけない子なのです。
 危険なことをせず聞き分けもよいので必然的に叱ることも少なくなり、普通に誉めていれば誉める比重が圧倒的に多くなっていきます。そして誉めてあげるから頑張る、頑張るからまた誉めてあげられるという好循環が自然に発生するのです。

 ところが世の中には、最初から育て方の難しい子というのも少なからずいます。
 乳児で言えばミルクをまるで飲まない子、原因不明の夜泣きがあったり、いつまでも泣きやまなかったりする子、生活のリズムが安定しない子――。
 幼児期になってからは好き嫌いが多くてきちんとした栄養摂取のできない子、向う見ずで危険なことを平気でする子、衝動的な動きで予測不可能な行動をする子など。この子たちはしょっちゅう叱られます。「危ない!」とか「ダメ!ダメ!ダメ!」とか一日に何度も大声で叫ばれる、あるいは親は年じゅう渋い表情をしている。そんな状態ですから更に不安定になって何かをしでかす――。
 悪循環ですからどこかで断ち切らなければならないのですが、なかなか連鎖を断ち切れない。これはもう子育てのうまい下手の問題ではなく、産まれた段階で決まっていたことなのです。

 私自身の子育て経験に照らし合わせても、シーナはまったく楽な子で、弟のアキュラはけっこう面倒くさい、難しい子でした。それは産まれた時からそうであって、子育てのせいではありません。女の子と男の子という違いはあっても、夫婦の育てかたがそんな変わるはずがないからです。同じように育てても違うように育った、そのこと自体が資質の違がいかに大きいかを証明しています。
 ハーヴは楽な子でしたが、シーナも次の子どもで苦労することになるのかもしれません。

【親の育て方で何とかなるというものではない】

 ときおり「三人の子どもを全員東大に入れた母親の子育て論」だとか「オリンピック選手をふたりも輩出した家庭のスパルタ指導」とかいった話を聞きますが、私は子育て論や指導法を聞く前に、その三人の東大生の知能指数やオリンピック選手の家系について知りたいと思います。知能指数100程度の普通の子が三人とも東大に入ったとか、私のところのように3代遡っても県大会レベルのアスリートさえいないという家の子が次々とオリンピック選手になったというなら、初めてそのときお話をうかがう気になります。
 親の育て方で何でも可能になるといった言い方は欺瞞です。

 世の中には、育てにくい子のために本当に苦労しておられる保護者がいくらでもいます。そんな人たちに向かって、「甘やかしすぎましたね」とか「もっと厳しくすべきでした」とか言っても何の改善にも繋がりません。
 そうではなく、今日までのご苦労に敬意を表し、同情し、ともに先のことを考えていくしかありません。他人ごとではなく、その“育てにくい子”は自分の家に生まれたかもしれないからです。