子どもには子どもの感じ方がある」~意味なく叱るよりは、意味なく誉めておく

 親が語り掛ける言葉は 必ずしも意味あるものだけではない
 くだらないこともあれば 無意味な場合もある
 
どうでもいい話もある しない方がいい話もある
 
しかしどうせ大した意味もないなら
 とりあえず誉めておくのが一番いい

という話。

 

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【人間の躾には、延びてくる手が多い】

 孫のハーヴがもうすぐ4歳になります。
 離れて暮らしているので会うたびに格段の成長があり、それを見るのが楽しみです。

 昨日は犬の躾の話をしましたが、人間は犬と比べて成長がずっと遅く、躾け項目も多いため、大人になるのに時間も手間も何倍もかかります。ただしたいていの犬が一人か二人の飼い主によって躾けられるのに対して、人間はたくさんの大人や友だちに育てられて成長しますから、その分、楽な面もあります。

 ハーヴの場合は2歳で保育園に入りましたから、保育士さんやお友だち園児に教えられている面も少なくありません。
 例えばトイレットトレーニングなどは、親だけの指導で達成するのは容易ではありません。
 しかしハーヴは保育園の先輩や同輩がトイレでうんちやおしっこをするのを見ていますから、自然とそれがそういうものだと覚えます。自分一人でトイレができる子は保育士さんたちに誉められてその様子を見ていますから、ひとりでできることの価値も、特に改まって教えられることなく覚えていきます。

 親たちは家でオマルを用意して、うんちやおしっこの出そうなころ合いを見計らって、パンツを脱がせて待っているだけでいいのです。、あとはうまく行ったら大いに誉めるだけ。
 楽なものです。 

 

【誇り高き3歳児】

 ハーヴもちょうど一年前くらいに、そうやってトイレットトレーニングを終了しました。それは誇り高いことで、当人にとっても大人への階段を大きく一歩上った事件でした。

 直後の梅雨の朝、母親のシーナが計算間違いをして履かせるパンツがなくなってしまい、保育園には予備のパンツがあるので、
「ハブくん、今日は“お兄ちゃんパンツ(普通の木綿のパンツ)”全部洗濯しちゃって履けるのがないのよ。悪いけど紙パンツで行って、保育園で履き替えよ?」
 そう言うと泣いて怒って、シーナの持っていた紙パンツを奪って床に投げつけたそうです。

《でかしたハーヴ! それでこそお兄ちゃんだ!》

  しかたないのでノーパンで保育園に行ったそうですが(それが誇り高い園児のすることか?)、そんなふうに子どもは育って行くわけです。“お兄ちゃん”が紙オムツで保育園に行くのは、沽券にかかわるらしいのです。

 

【成長は直線的に進まない】

 今、4歳になろうとするハーヴはトイレについてはほぼ完璧で、行きたいと思うと親に一声かけてトイレのドアを開け、ズボンとパンツを脱ぎ、幼児用便座を便器の上に乗せて踏み台を使って上にのぼり、用をたすと便座から降りて幼児用を片付け、水を流して戻ってきます。
 パンツやズボンの後ろ前が分からなくなることがあるのでそれについては母親に確認すると、床にパンツ、ズボンの順で並べて一人で履きます。
 履こうとします。
 その気はあります。
――ところが、なぜかそこからめっぽう時間がかかるのです。

 何かのルーティーンなのかもしれませんが、片足をパンツに突っ込んだまま、テレビがついていればテレビに気を取られ、ついていなければそのつど何かを見つけてそちらを凝視して、ピタッと手が止まってしまう。

 私はそれとなく眺めているのですが、孫と言えど他所様の子、安易に口や手を出すのは憚られるので放っておくのですが、そうなるとさらに進みません。
 やがてハーヴは何回か気を取り直して動きを進め、1~2分の後には服装を整えます。1~2分だから文句は言えないのですが、5秒でできることを120妙もかけるわけですから、まじめに見ていると相当イライラします。

 そこへ食事の支度をする母親のシーナが現れて声をかけます。
「ひとりでできたのね。ずいぶん速くできるようになったね!」


 私はびっくりします。

《速くなんてネ~ダロ!》

 もちろん口にはしませんが、思わず目を剥いたりします。

 

【子どもには子どもの感じ方がある】

 しかし翻って、同じ状況で他にかける言葉があったとすれば、それは、
「相変わらず時間がかかるわね」とか、
「今ごろやっと終わったの」
といった陰性の言葉、あるいは、
「終わったの?」
といった無意味な確認だけです。
 それで何の利益があるのか?

 もちろん「パンツやズボンを履くことは、もっと速くできる仕事だ」という事実を知らせることには役立ちます。暗黙の裡に「次はもっと速くしなさい」という指示を伝えることになるのかもしれません(3歳児でもそういった含意を汲み取れると仮定して)。

 しかし確実に言えるのは、それが母子ともに気分の良くない出来事になるだろうということです。気分を悪くしても得られる価値が大きいなら、敢えてそうしなくてはならない場合もありますが、この事例は違うでしょう。

 どうせハーヴに正確な時間の感覚などないのです。「ずいぶん速くできるようになったね」と言われればそうだったような気もしてきます。「ひとりでできたのね」は母親が認めてくれたということですから、全体としては誉められたことになります。

「トイレに行って、一人で全部やって、誉められた」
 ハーヴが今日、経験したのはそういうことです。明日も大差ないかもしれませんが、明日の明日の明日くらいになれば、もう少しは速くなっているかもしれません。

 ハーヴも良い母親を持ちました。


自画自賛!)