カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「入学式・始業式の準備」〜人それぞれ

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【昨日、どうでしたか】

 新年度初日の昨日、先生方、いかがでしたか?

 新任の先生方、継続の先生方、みな様、仲良くなれたでしょうか? 
 とにかく一日忙しくてそれどころではなかったというのが実際のところかもしれません。

 ただでさえ訳が分からない一日を過ごされた新任・新採用の先生方、今日あたりからあいさつ回りや地域巡りで学校を空けることが多くなります。その間に継続の先生方は新入生や新しいクラスの受け入れ準備ができるわけですから、ずいぶんとハンディがついてしまいますね。
 そんな事情も考え、継続の先生方は自分のことにかまけず、何くれと声をかけて手伝えることは手伝ってあげましょう。

【新年度の教室準備】

 さて、私は自分自身の異動が絡むときでさえ、どんなに大変でも新年度の最初の一週間はかなり好きでした。頭が真っ白になりながら、アドレナリンをデロンデロンと流しながら、それでも新しい人と出会い、新しい出来事を見るのは楽しかったのです。

 例えば、ある先生は自家製の名札掛け(職員室にある出勤ボードみたいなもの)を持ち込んで教室の掲げ、せっせと生徒の名前を書いていたりします。別の先生は宿題提出用のボックスやらトレイをせっせと作っていたり、また別のある先生は家訓ならぬ学級訓みたいなものを考えて掲示していたりと、その気になって覗くと、あちこちの教室でいろんな工夫をしているさまざまな先生たちの姿が見えるのです。

 学級訓について言えば、
「和顔愛語」(穏やかな顔つきとやさしい言葉遣い)
とか、
「あとみよそわか」(物事をやり終えたらもう一度振り返りなさい)
とか、
「啐啄同時」(教える者と学ぶ者、その一瞬にかけよう)
「一期一会」(出会いは一瞬一瞬、それが最初で最後と思って行動しなさい)
といった四字熟語が多く、「切磋琢磨」や「一致団結」「一心同体」といったものもありました。「切磋琢磨」はまだしも、「一致団結」や「一心同体」は教師の願いがむき出し過ぎて、何か恥ずかしいような気持にもなったものです。

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【ぶつぶつ言う人】

 あるとき、一緒に赴任してきた比較的若い先生が、一日中ぶつぶつと口の中で呟いているのを見ました。気になって観察していると、ときどきポケットから紙を取り出しては何かを確認しています。初めて生徒に会う日の、最初の挨拶の練習でもしているのかとも思ったのですが、考えてみれば挨拶なんてそこまで正確にやるものでもありません。そこで思い切って訊ねると、
「新入生の名前を暗記しているのです」
 そう言えば1年生の学級担任に決まってる人でした。
「入学式のあと、教室に戻って最初の話をするでしょ。そのときに一人ひとりの名前を呼んでじっと顔を見るのです。みんな喜んでくれますよ」
 私は思わず、
(それはズルイ!)
と口に出しそうになりました。
(みんなというのは、子どものことじゃあネーダロウ!!)

 入学式から戻ってきたとき、教室にいるのは新入生だけでなく、ほぼ全員の保護者が後ろに陣取っています。それだけ揃うのは入学式を除けば数年後の卒業式だけです。その晴れの場で、新担任が一人ひとりの名を暗唱で呼び、その顔をまじまじと見るのです。
 もしかしたら子どもの方は分からないかもしれませんが、親は思います。
「この先生、入学前からウチの子のことを気にかけてくれていた――!!」
 それだけで親の信頼感、総ざらいです。

 最初に親の信頼を勝ち取っておけば、あとはかなり楽です。
 子どもに教師の真意が伝わらず、家に不満を持ち帰ったとしても保護者が必ずフォローしてくれます。
「あの先生のことだから、きっと深い意味があるのよ!」
 何か不始末をしでかしても、
「先生、大丈夫よ! 誰にだってあることだから!」
 もちろん延々と続く魔法ではありませんが、とりあえず良い印象から始まって損はないはずです。

【誰にでもできることじゃない】

 ただし私が「ズルイ!」と感じたのは、そんな有効な方法を彼が独り占めしていたからではありません。三十数人の子どもの氏名を正確に覚えて絶対に間違えないというのは、必ずしも誰にでもできることではないからです。
 屁理屈を言いますが、私にとって人名ほど厄介なものはありません。例えば「優子」という名なのにその人は必ずしも「優しく」なかったり「優秀」でなかったりするからです。不細工な「美子」さんは絶対にいますし、しょぼくれた「剛」くんだって必ずいます。
 私が出会った中で一番すごかったのは、「獅虎象(しこぞう)」という名の、小柄で弱っちい感じの好々爺でした。

 つまり必ずしも名は体を表しておらず、私のように字義に振り回される人間は人名などさっぱり覚えられない――。
「入学式の日に、一人ひとりの氏名を正確に呼んであげる」という技は、たった一人でも間違えるとすべておしまいで、それどころか間違えられた子どもと保護者に一生恨まれても仕方がないほどの失態ということになりかねません。
「ズルイ」というのはそういう意味で、ほとんど嫉妬まみれの表現なのです。

【私は何をしたか】

 ひとは自分にできることしかできません。
 そこで私は何をしたか。

 私は教室を植物で飾ったのです。
 園芸が得意だからではありません。植物は好きですが水くれを忘れたり陽に当てるのを忘れたり、うっかり霜に当ててしまったりして次から次へとダメにしてしまいます。しかしそれでもダメにならないものもある。
 水枯れに強く病害虫にも強く、夏の暑さ冬の寒さにもへこたれない、雑草並みの強い植物というのは結構あって、長く鉢ものを育てていると自然に強いものは残り弱いものは淘汰されます。そして私の手元には強いものだけが残っているのです。それを教室に持ち込む。
 そこに緑の多い、落ち着いた学習環境が生まれるのです。

 長生きするだけで、自然にできるようになることもあります。