和顔愛語、先意承問


「和顔」とは、なごやかな顔、「愛語」とは、やさしい言葉です。善意に満ちたなごやかな笑顔で、愛情のこもったやさしい言葉で相手に接するということです。『大無量寿経』というお経の中に出てくる言葉だそうですが、それに続くのは「先意承問(せんいじょうもん:意《こころ》を先にして承問す)」。向こうから言われない先に、相手の気持ちを察して、その望みを満たしてあげるという意味です。

「先意承問(せんいじょうもん)」は別としても、「和顔愛語」の方は多くの教員に好まれ、日本中の学校や教室に貼られているはずです。

 荒れた乱暴な言葉からは荒れた思想や感情しか生まれてきません。人はしばしば人間の中にある醜いもの、汚いものを本音とみなしますが、なかなかどうして、荒れた言葉に引きずり出された思考や感情は、荒れた言葉によって創られた偽の感情です。とても本音とは言えないものです。

 教室で和やかな表情と優しい言葉を強制し、そうした中で生活している私たちですから、荒れた言葉や乱暴なやり取り、激しい罵り合いの応酬だとか詐術、恫喝といったものにはどうしても免疫がありません。

 私は同僚の中では相当に言葉の汚い性質ですが、それでもこんなものです。そして自分の性格として、ネット上でもできるだけ和顔愛語に努めたいと思ってきました。

 また、「会話」はよくキャッチボールになぞらえられます。この遊びのルールはいたって単純で「投げる方はできるだけ捕れるように投げるから、捕る方もがんばって捕球しよう。はずしたボールははずした方が取りに行く」

それだけです。

 しかし、子どもとの会話ではこれがうまく行かないことがままあります。私は「基礎編」でこんな書き方をしました。

「しかし、不良息子はそのボールを捕ろうとしない。

少し外れたボールを捕球する努力をしないばかりでなく、捕れるボールも必要に応じてわざとはずす。

はずしておいて取りにいかない。

そのくせ、新しいボールを次々と手にしては、とんでもないクソボールを投げてよこす。

これはキャッチッボールではない。

ノックだ」

 そして同じようなことが実生活でもネット上でも起きます。

「どれだけ誠実に答えたとしても伝わらない場合がある。しかし、実際は、特に仕事においては相手せざるを得ないのが辛いところですね」

私にそう言ってくださった方がおられましたが、まさにそういうことです。