カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「新入生を迎える」

 異動で私の学校に来て、新一年生(小学校)の担任になることが決まっていた若い先生が、新年度準備をしながら何かブツブツ言っています。時折ポケットに手を突っ込んで紙を出してはちらっと確認し、またブツブツ・・・。
「何をしてるんですか?」と尋ねると、
「子どもの名前を覚えています」とのこと。
 入学式で担任発表があったあと教室に入り、そこで一人ひとりの名前を呼んで立たせる、そして一対一でよろしくの挨拶をして座らせる、それが彼流の対面式なのだそうです。
“この野郎メ”と思いました。
 児童も保護者も感動することでしょうね、それで一気に親子の心を掴むことができます。どうしてそんなことを思いついたのか――それが人間性というものなのでしょう。
 ただしそれは人間の名前という実に非論理的な(というのは美子さんは必ずしも美人ではないし賢太郎君が賢い顔をしているとは限らないからです)名詞を暗記できる能力のある人だからできることで、私のように2年間担任した子どもですら突然フルネームを聞かれるととっさに出てこないようなボンクラには到底できそうにないことです。そんな大切な場でひとりでも名前を間違えたら台無しです。
 もちろん彼にしても大変な努力をしているわけで“この野郎メ”は単なる私の嫉妬から出た言葉なのですが、それにしても羨ましい限りです。カッコいいですね。

 また別の担任(中学校1年生)は、教室の後ろの入り口の横に「出席札」を用意していたりします。職員室の横にあって出勤すると裏返すアレです。
 私は入学式前日にそれに気がついたので真似したくても時間が足りませんでした。もっとも真似したところで、使い方もよくわからないものを教室に置いても意味はなさそうです。

“出席札”を用意した先生はきっとその札の持つ特別な意味を最初にお話しされるに決まっています。私にはその深い意味が分かりません。

 小学校の担任の先生方は教室を飾ることに比較的熱心です。それに対して中学校の先生方の中にはやや無頓着な方が大勢おられます。しかし教室は“学びの場”ですからそれにふさわしい仕掛けをしておいて損はありません。
 座右の銘を掲げておられる先生、自分の絵でちょっとしたギャラリーみたいにしてしまっている美術の先生、いきなり学級目標を掲げてしまう先生(生徒に話し合わせなくていいんか!?)、窓際にパンジーを植えたプランターの並ぶ教室、担任の願いが書き並べられている教室――私に真似のできるものもあればできないものもありました。
(ちなみに学級目標を自分で描いてしまう先生――「『学級目標』というのは学級運営の要だろう、こういうクラスにするぞという決意表明だろう、そんなもの子どもに任せられるか?」という立派な哲学をお持ちの方でした)

 さて私は――。
 やはり誰しも一番大切な決戦の場へは、自分の一番得意な武器を持って行きたいものです。
 私の場合、人生の節目の最も大切な出会いの日にふさわしい、将来にずっと残るいい話をしよう、入学式の校長先生のお話を忘れさせてしまうほどの話をしよう、そんなふうに張り切って出かけたと思います。

 ただしその上で何を話したのかは覚えていません。
 おそらくこんな話をしたのだろうという心当たりはあるのですが、大風呂敷を広げた後なのでとても話す気にはなれないのです。ハハ。