カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「延々と続く地獄」〜2歳児とこもる

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  孫のハーヴが風邪を引き、高熱と嘔吐で苦しんでいるというので東京に出てきました。娘夫婦はともに教員なので続けて休むということができないのです。
 私たち夫婦もかつては両方の親の助けを繰り返し借りながら、二人の子を育ててきたわけですから助けに行くのは当然です。親の恩は子に返さなくてはなりません。
 それに私は自分自身が子どものころから小さな子の近くにいるのが大好きでしたから、助けを求められると勇んで出かけます。この一年でこれが6回目くらいです。

 しかし当然ながら病気の子のお守りですから元気よく外で遊ぶというわけにはいきません。どこかへお出かけというわけにもいかないので必然的に丸一日部屋遊び、ということになのですが、これがなかなか煮詰まる、楽しくも面白くもないのです。

【2歳児はこんなふう】

 とにかく相手は2歳10ヶ月ですから、まずことばが十分に伝わらない。
 「ブタ小屋ピッピが見たい」というのが“何かの”ビデオを見たいという意味だということは分かるのですが、何の番組かわからない。何度聞いても「ブタ小屋ピッピ」と言うのでもう手当たり次第に見せるしかないと思って録画一覧を表示すると「これ、これ、これ」と指差してくれる。ホッとして番組名を見るとそれが「ピタゴラスイッチ」。
 そうと知って改めて聞き直すと確かに「ピタゴラスイッチ」と言っています。二度と「ブタ小屋ピッピ」とは聞こえません。

 ただしこれなどは最後に正解にたどり着いたからいいようなものの、分からない時は絶対に分からなくてその挙句にハーヴはパニック、そうなると手がつけられません。
 パニックになる前に気持ちを別に逸らせばいいことは知っていますが、修練が足りずタイミングを外すことしばしばです。

 2歳児と言えばまた、自閉症の簡易テストである「サリー・アン課題」(参照:

子どもの認知② 〜心の理論 - カイト・カフェ )も絶対に通らない、というか課題自体が理解できない。つまり確実に自閉傾向は強いわけで、人の気持ちが読めない、行間が読めないというのは幼児だから我慢するにしても、反復行動が大好きという部分については時に地獄の雰囲気になることがあります。

 例えばビデオを見ても同じものを何回でも繰り返し見る。私は楽ですが、さっぱり楽しくない。

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 跨って乗る自動車でテーブルの周りをまわるという遊びを始めたのですが、途中で私が足を広げて股くぐりのトンネルをやってあげたらすっかり気に入ってしまい、以後、私は半周ごとに“人間トンネル”をやる羽目になってしまいます。半周ごとというのは、要するに 私が何度でも移動するということです。それが50周ほど。よく飽きないもので、私の方はすっかり飽きて、しかも疲れ切ってしまいました。
 ブロック遊びをしてもプラレールをやっても同じことの繰り返しで、さっぱり面白くない。けれどハーヴはそんなことが大好きなのです。

「子ども相手なんだから、そのくらい我慢しなさい」
と言われるまでもなく我慢しますし、そのために来ているのですから仕事と思えばいくらでもがんばれます。ただしこれが3〜4日のことでなく、延々と続くとしたら別の方策を考えなくてはなりません。とてもではありませんがもちそうにありませんから。

 そこでふと思ったのが、
「専業主婦はどう過ごしているのだろう」
ということです。

【延々と続く地獄】

 子育てというのは実際に始めてみないと分からない面がたくさんあります。ですから親になって初めて「ああ自分にはこんなにも子どもが好きだったんだ」とびっくりする人もいれば「あれほど子どもが好きだと思っていたのにまるで違っていた」と思う人も、両方とも出て来ます。前者だったら望外の幸せということになりますが、後者だった悲劇です。そしてそんな悲劇的な親がさらに人間関係がへたクソで、いつも家にこもっている人ならほんとうに大変だろうなと、実感をもって感じているわけです。

 もちろんハーヴの体調が良くて天気も良ければ、公園に行ったり児童館に行ったり、ハーヴの好きな新幹線を見るためだけにわざわざ東京駅に行ったりと、私はたぶん何日でも子どもと遊ぶことができます。そうした自信があるからこそ今の鬱々をやり過ごしていられるわけですが、それがなければーー今日の日が延々の続く毎日だと想像したら、これは容易に耐えられるものではありません。
 こんなところにも、助けるべき人はいます。