カイト・カフェ

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「先生の日」〜なぜつくらないのだろう

「恩師を担いで花道を進む 岐阜県高山市の中学校で伝統の『卒業みこし』」というニュースがありました。

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 それによると、
 6日は、愛知と岐阜のほとんどの公立中学校で卒業式が行われました。(岐阜県高山市の中学校では、卒業生が御輿を担ぐ伝統の行事で恩師に感謝を伝えました。
 高山市立東山中学校で受け継がれる「卒業みこし」は、およそ40年前から続く伝統行事で、卒業生が、2か月ほどかけて御輿を作り、卒業式のあと、恩師を乗せて練り歩きます。
 先生たちは、教え子が担ぐ御輿の上でうれしそうな表情を見せ、担いだ生徒たちにとっても、忘れられない旅立ちの日となりました。
ということです。

 40年前といえば1970年代後半、いくら岐阜の山奥とはいえ、先生に心から感謝する素直な子ばかりが揃っていたとも考えられません。もしかしたらからかい半分、あるいは先生と生徒の共同の悪ノリで始まったものなのかもしれません。しかしそれにしても、教師と生徒の仲が良くなければ始まらないことですから、羨ましくもすばらしい伝統であるには違いありません。

 ところでこんなふうに生徒が教師に直接感謝の気持ちを伝える行事って、日本国内にいくつ残っているのでしょう。卒業式後の謝恩会といってもたいていは保護者と教師の飲み会ですし、花束贈呈とかがあったとしても、それは卒業学年だけのことです。1年生や2年生の担任も一緒に感謝されるわけではありません。

【先生の日】

 前々から思っているのですが、この国には「母の日」もあれば「父の日」もあり、「子どもの日」も「敬老の日」もあるというのに、なぜか「先生の日」はありません。人間の成長の上で「先生」は父母・祖父母と同じように大きな役割を果たしているはずなのに、一顧だにされていないのです。

「先生の日」自体は、世界的には珍しいものではありません。Wikipediaで調べると「教師の日」が制定されている国と地域は60を越え、さらに世界教師機構によって定められた「世界教師デー」(毎年10月5日)というものまであります。
 「世界教師デー」は“教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供達に、充分な教育を施せるよう求めることを目的としている”ということですから、私の考える「先生の日」とは少し趣旨が違うみたいですが、とにかく「先生」というものについてじっくり考える日が一日あるというのは、とても大切なことだと思うのです。
 ちなみに「世界教師デー」は世界で100以上の国が実施しているというのに、日本ではその名さえ知られていません。

【「先生の日」は儲かるに違いない】

 思えばこの国の企業家たちはキリスト教徒でもケルト人でもないのに、ありとあらゆる欧米の行事を持ち込んで金儲けの材料としてきました。バレンタインデーもホワイトデーも、ハローウィンも皆そうです。

 クリスマスなんて昭和30年ごろはキャバレーの専売特許で、ボーナスをもらったばかりのお父さんたちがお金を払って「くいだおれ太郎」みたいな姿にさせられて帰ってくる年中行事でしたが、いつのまにか子ども向けになってしまい、お父さんも早く家に帰るようになりました。
 玩具メーカーとケーキ業界の陰謀に違いありません。

 そうです、その爆発的な商業主義をもってすれば、「先生の日」を制定して金儲けをするなんてことはいとも簡単だと思うのですがいかがでしょう?

 先生と言っても学校の教師だけが「先生」なわけではありません。華道や茶道のお師匠さんもいれば職人の先達もいます。何の肩書もなくても「この人は私の人生の師だ」と感じればそれは「先生」です。
 そうしたすべての「先生」に対して、感謝の気持ちをきちんと伝えたいと考える弟子たちはきっとたくさんいます。そういう人たちに対して、「世の先生たちに感謝し、〇〇を送ろう!」とキャンペーンを張れば、きっと多くの人たちが乗ってくるはずです。しかも老若男女を問いませんから購買力はハンパではありません。

 だれか本気で取り組んでくれないものでしょうか? 私は「先生」たちがもっと目に見える形で感謝されるべきだと思うのです。それに「先生」に改めて感謝の気持ちを伝えることは、弟子たち(特に子どもたち)とって、とても大切なことだと思うのですがいかがでしょう。