いよいよ新学期。
書初めやら給食袋やら、山ほどの荷物を抱え、寒い朝を元気に登校してくる子どもたちの様子が目に浮かぶようです。
この子たちは荷物以外に、いったい何を抱えて学校に向かうのでしょう?
新学期といってもほとんどの教師にとっては何回も経験した学校再開の一齣にすぎません。しかし子どもの中には本気で気持ちを改めて来る子がいます。ましてや新年新学期です。
実は蓋を開けたら去年のその子と全く同じ、ということもあるかもしれませんが(普通はそう)、とりあえず“新しい気持ちでくる子”として遇してやりたいものです。その“新しい気持ち”はたいていの場合、“良きもの”なのですから。
ところで今月3日に私の年賀状を紹介しましたが、実は毎年数種類の賀状をつくって相手に合わせ使い分けています。例えば私の個人的なつき合いとか、家族の様子を知らせたい相手とか、かつての教え子とか――。
特に現場の教員だった昔は、大人用のものをクラスの子どもに渡すわけにはいきませんので、小中学生向きのものを別に作り、それを送りました。たいていはその年の干支にかかわる豆知識を、びっしり書き込んだものです。
今や教え子たちも大人になってそうしたことも必要なくなりましたが、こういったことも懐かしく楽しい思い出です。
調べたら、ちょうど12年前のものが残っていたのでここに載せておきます。
さて年賀はがきの文中に「どういう意味か調べてみるといいですね」と書いてあるので、12年後の今の私が、それに応えて少し調べてみました。
「犬も歩けば棒に当たる」なんて、分かっていながらうまく説明できないものですから、やはりきちんと調べておくべきでしょう。
【基本的なことわざ】
・犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけば ぼうにあたる)
でしゃばると思わぬ災難にあうと、じっとしていないで何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあう、どちらの意味にも使えるようです。
・夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかは いぬもくわない)
夫婦喧嘩というものは、つまらない原因だったり一時的なものだったりするから、他人が間に入って仲裁したり心配するものではない。
・犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃ おはひがし)
当たり前すぎるほど当たり前であること。
・犬に論語(いぬにろんご)
道理の通じない者には何を言ってもむだ。
なるほど、言われてみればそうだ。
【チャンス】
犬=猟犬という発想から“チャンス”との関連でできたことわざもたくさんあるようです。
・犬一代に狸一匹 (いぬいちだいに たぬきいっぴき)
よいチャンスにはなかなか出会えない。 犬の一生に狸のような大きな獲物をとるのは一度くらいだ。
・犬骨折って鷹の餌食 (いぬほねおって たかのえじき)
犬が苦労して追い出した獲物を鷹に取られる。 苦労して手に入れかけたものを他人に奪われてしまうたとえ。鳶に油揚げをさらわれる。
・犬兎の争い (けんとのあらそい)
両者が争って弱り、第三者に利益をとられること。 犬が兎を追いかけ、山を上ったりしているうちにどちらも疲れて死んだのを、 農夫が自分のものにしたという寓話から。
【従順】
「犬は三日の恩を三年忘れず」というように、犬は従順で、人間の友もしくは優秀な家来として認識されることも多かったようです。その点で調教の効く馬や鷹と同一視されます。
・犬も朋輩鷹も朋輩 (いぬもほうばい たかもほうばい)
同じ主人に仕える以上、身分に違いはあっても仲良くしていく義務があるということ。 会社の同僚などについていう。
・犬馬の心 (けんばのこころ)
主君や親のために尽くす忠誠心。
・犬馬の労 (けんばのろう)
主君または他人のために力を尽くして奔走すること。 他人に対して自分の労苦をへりくだって言う言葉。「社長のためなら犬馬の労を惜しまない」等。
【忠誠心を見せない犬は可愛くない】
したがって忠誠心を見せない犬は可愛くない。自分になつかない犬もいけ好かない。
・吠ゆる犬は打たるる(ほゆるいぬは うたるる)
じゃれつく犬は打たれないが、吠えつく犬は打たれる。つまり人間でも、慕ってくる者は可愛がられるが、手向かう者は憎まれる。
・尾を振る犬は叩かれず(おをふるいぬは たたかれず)
従順な人は、誰からもひどい仕打ちを受けることはない。
・杖の下に回る犬は打てぬ (つえのしたにまわるいぬは うてぬ )
懐いていてすがってくるものには、むごい仕打ちはできない。
・捨て犬に握り飯 (すていぬに にぎりめし)
骨を折るだけで無駄。 握り飯を捨て犬にやっても、ただ急いで食べて逃げて行ってしまうだけである。
・殿の犬には喰われ損 (とののいぬには くわれぞん)
勢いの強い者やったことは、たとえ道理にはずれていることであっても泣き寝入りするしかない。
そうかとおもうと、こういうこともあります。
・飼い犬に手を噛まれる(かいいぬにてをかまれる)
日頃からかわいがり面倒をみてきた者からひどく裏切られたり、害を受けたりすること。
だったら人間だって容赦しない
・狡兎死して走狗烹らる(こうとしして そうくにらる)
すばしこいうさぎが死ねば猟犬は不要になって煮て食われる。これを人間に当てはめると「敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃまになり、殺される」。 すごいな。
また、従順さが表面だけという場合だってあります。
・犬馬の養い ( けんばのやしない )
犬や牛馬に食物を与えて養うのと同じように、親を養うのにただ口腹を満たすだけで敬愛の念のないことをいう。
【犬死、つまらぬ者】
「犬死」という言葉があるように、犬にはつまらないもの、粗悪なもの、怒ると見境なくなってしまうもの、という意味もあるようです。
・羊頭狗肉(ようとうくにく)
羊肉の看板を掲げながら、実は犬の肉を売っている。見かけと実質がともなわないこと。立派なものをおとりに実は粗悪なものを売ること。
・喪家の狗(そうかのいぬ)
飼い主に見捨てられた犬。またはそのようにやせ衰えて元気のない人。
・飢えたる犬は棒を恐れず (うえたるいぬは ぼうをおそれず)
飢えている犬は人に叩かれることも恐れないで食物に近づくように、 人間も食うためには法をおかすようなこともある。
・噛み合う犬は呼び難し(かみあういぬは よびがたし)
夢中で噛み合って喧嘩している犬はいくら呼んでも来ない。自分のことで夢中になっている人は、何を言われても耳に入らないものだ。
・負け犬の遠吠え(まけいぬのとおぼえ)
臆病者が陰で威張ったり悪口を言ったりすること。
・所で吠える犬はない (ところでほえる いぬはない)
・わが門で吠えぬ犬なし (わがかどで ほえぬいぬなし)
どんな意気地のない者でも自分の縄張りでは強そうに振る舞う
・食うだけなら犬でも食う (くうだけならいぬでもくう)
ただ食って生きているだけなら犬にだってできる。それでは人間としての価値がない。
ここまで言われると犬も散々です。
しかしそのろくでもない犬の糞となると、これはもうほんとうにどうしようもない。
・闇がりの犬の糞 (くらがりの いぬのくそ)
闇がりでは犬の糞は見えないことから、人の気付かない失敗は知らんふりをする、という意味。
どういう使いかたをするのでしょう?
・犬の糞で敵を討つ (いぬのふんでてきをうつ)
卑劣な手段で仕返しをすることをいう。
考えてみもしなかった――。
【使える】
さて、今回調べた中には、今まで聞いたこともないことわざがたくさんあり、その中には覚えておくといつか使えそうなものも多くありました。
・兎を見て犬を放つ (うさぎをみて いぬをはなつ)
ウサギを見つけてから犬を放して追わせても遅くはない。 失敗してから気がついてやり直しても、決して遅すぎることはない。
・一犬虚に吠え万犬これに和す (いっけんきょにほえ ばんけんこれにわす)
一匹の犬が何かの影を見てほえると、あたりのたくさんの犬がその声につられてほえたてる。誰かがいい加減なことを言い出すと、多くの人がそれにつられて大騒ぎをする。
・垣堅くして犬入らず (かきかたくしていぬいらず)
家庭内が正しく治まっていれば、それを乱すようなことは外から入ってこない。 ――いいですねぇ。
・蜀犬日に吠ゆ (しょっけん ひにほゆ)
見識の狭い人が賢人のすぐれた言行を怪しみ、疑って非難するたとえ。 蜀(しょく)の国は雨が多いので日を見ることが少なく、たまに太陽を見ると犬が怪しんで吠えたという。
・煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬは おえどもさらず)
いくら追い払っても、人の煩悩はつきまとって離れないものである。あ、これよく分かる。
【最後に】
私にぴったりの「犬」にまつわることわざ。
・犬馬の歯 (けんばのよわい)
犬や馬のようにむだな年齢を重ねた。自分の年齢をへりくだっていう語。