「家庭菜園ティストの話」

「なぜ人は年を取ると農業や園芸に興味を持つようになるのだろう?」

 そう訊いたら妻が、

「そろそろ自分も土に還ろうとするからじゃない?」

 その妻は“土に還る”気などさらさらないようで、我が家ではもっぱら収穫担当もしくは指示担当といった立場で私をこき使っています。

 先日仲間と飲む機会があって東京に住む友人も実家に立ち寄ったついでに参加してくれました。2〜3年に一遍くらいしか会わない友だちですが中学校1年生からの付き合いですから、かれこれ半世紀にもなります。その彼が抽選に当たって区の市民農園を借りられるようになり、畑仕事を始めたというのです。まるで土の似合わない男ですが――。

 広さはわずか10�u。3m×3mに少し足したくらいです。かくいう私も1a地主で夫婦二人で食べるには多すぎますが外に出荷するほどの量は取れない(質を言えばさらに出せない)。それでも今年はジャガイモにエンドウ豆、ホウレンソウに小松菜・ニンジン・ネギ、ピーマン・ナス・トマト・ミニトマト、モロヘイヤ・ブロッコリ・カボチャ、ゴーヤにアスパラガス、イチゴ・ブラックベリー・トウモロコシ、二十日大根、ニラ、ミョウガと21種類も栽培(もしくは自生)しています。他にカキ・桜桃・プルーンといった果樹もありアゲハチョウを呼び寄せたくて植えたサンショが巨木(サンショとしては)になっていたりします。

 友人の方ですが、これは本物中の本物の初心者ですのでまず「はじめての野菜づくり」みたいな本を買ってきてジャガイモやらミニトマトやらを植えたらしいのですが、

「どんな野菜が楽なんだ?」

「楽ということもないが、ナス、ピーマン、キュウリなんか毎日あっても困らないから作りたくなるところかな?」

と言うと、

「おい待てよ、ナスなんて本には『作りやすさ』三ツ星の難敵で“初心者は手を出すな”って書いてあったぞ」

 私にとって厄介なのはキャベツやブロッコリ。キャベツなんて肥料が足りないと丸い球にならない、モンシロチョウはやたら卵を産みたがって気がつくと青虫の巣になったりしている、収穫のタイミングが分からないで、2〜3年挑戦して辞めてしまいました。

「消毒ってどうやるんだ?」

 すると別の友だちが、

「そんなものはな、噴霧器を買ってきて・・・」

 そう言ってポンプをあおるようなしぐさをするので、

「冗談じゃない、3m四方の畑でポンプ式の噴霧器はないだろう、その程度だったらスプレー缶で十分だ」

と、ずいぶんにぎやかな農業談議が続きました。

「なぜ人は年を取ると農業や園芸に興味を持つようになるのか」

 基本的にはサラリーマン生活に邁進してきた人間には他に思いつくことがない、そのあたりがホンネなのかもしれません。

 定年退職したら釣り三昧だとかアウトドアに狂うぞとかキャンプに行くぞとかいった人は大勢います。本格的な研究に取り組むぞ読書三昧だといった高尚な人もいます。けれどそういったものない人にとって、ガーデニングや畑仕事はとてもとりつきやすい、初期費用も掛からない、失敗したり飽きたりしても損失が少ない(これが喫茶店を始めるぞとか花屋をやるぞとかいった話だと中途半端では済まされない)、そういった利点もあるのかもしれません。

 植物相手の正直な仕事です。人間相手と違い努力が単純に報われる、努力の因果関係がはっきりしています。

 作物が虫食いだらけになるのは私の努力不足、作物が成長しないのは自分の勉強不足、そいういうことがはっきりしている。もちろん長雨だとか台風だとか病害虫の異常発生だとかいった天災はありますが、努力や知識で対処できないものはむしろ諦めやすい。

 東日本大震災のときに「しょうがない」という言葉が注目されましたが、絶望ではない諦め、まるで「さあまた頑張ろう」といいたげな諦めは、そうした日本人の農業体験からきたものかもしれません。

 以前、私の勤めていた学校で心の病のために休職した若い先生がいました。その休職期間中、彼は父親のつてをたよって農家のお手伝いに行っていました。

 2か月ほどたってからその家を訪ねたのですが、そこで父親からとても印象深い言葉を聞きます。

「そうだね。百姓は心を病まんから」

 そんなところにも畑仕事や園芸の良さはあります。