カイト・カフェ

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「遠いあの日」2〜「べっぴんさん」の魅力

  NHKの朝ドラ「べっぴんさん」を、私はかなり気に入って見ています。
 脚本がしっかりしていて破たんがなく、全体として淡々とした印象なのにドラマがある、そんな感じです。
 人気の高かった前作「トト姉ちゃん」はほんとうに乱暴で、登場人物や“今後重要になりそうな人物”が突然消えたり意味もなく現れたり、どういう意味があるのか分からないエピソードが随所に挟まれたり、重大な問題が持ち上がったかと思ったらスーパー・トト姉ちゃんがあっさり解決してしまったりと、かなり面倒くさく鬱陶しいものだったのです。
 ですからやはり「べっぴんさん」のように根底にある脚本がしっかりしていると、安心して見ていられます。

 主人公たちは起業家としては成功者ですが野心があって会社を大きくしていったという感じはなく、目の前の仕事にコツコツと誠実に向かっていたらいつの間にかトップに立っていた、という感じでそれもいいのです。
 主人公以外の登場人物も基本的には善人ばかりです。多少心のねじ曲がった人も傲慢な野心家もいますが、他人を害してまでも何かを成し遂げようという人は出て来ません。
 それらはすべて当時の日本の現実の姿であり、現在もあり、これからも守っていかなければならないこの国の宝です。
 

【けれど家庭人としては問題だ】

 一方、家庭人としては、彼らは必ずしも成功者とは言えません。
 4人の主人公のうち3人が結婚してそれぞれ一人の子どもを設けているのですが、最も面倒くさい子どもの一人は大学を中退して世界旅行に旅立ち、一時は行方不明になったりします。
 別の一人息子は東京大学からアメリカの大学院に進むというエリートの道を進むのですが、結局日本に戻って母親たちの会社に入るという形でドロップアウトしてします。もともとは頭がいいだけの、自分の意思もはっきり言えない弱っちい男の子です。
 3人目の女の子は最も厄介です。お嬢様学校に通っていながら寂しさからジャズ喫茶に入り浸り、ナイトクラブへ踊りに通ったりドラマーに恋したりと、やたら親たちをハラハラさせます。
 たしかに親夫婦が仕事にかまけて子どもに寄り添おうとしなかったことは大きな問題でした。
 「べぴんさん」では結局夫婦の手に負えなくなり、娘が逃げ込んだ姉夫婦を頼って更生を果たすことになります。

 

【子の非行、自分たちだけではどうにもならない】

 現実の非行問題でも親が努力することをやめ、親族や他人に任せたところから展望の開ける場合があります。非行の原因をつくった親たちが、どれほど反省して態度を改めても、それが理解されるまでに時間のかかりすぎ、その間子どもはどんどん悪くなってしまうので間に合わないことがあるのです。そんな場合は早い段階で他人のてを手を借りなくてはなりません。

 番組の一場面で、娘が姉夫婦のところにいると知った母親が「あの子に会わせて。話をしなければ何も始まらない」と詰め寄る場面がありました。そのときの 姉のセリフが秀逸です。
「もう、そんな時期じゃないのよ」
 脚本家はそうしたことにも詳しいのですね。

 

【生まれながら厄介な子】

 そう言えば最初に挙げた“大学を中退して世界旅行の旅に出て一時は行方不明になった”息子、この子は以前(昨年の11月ごろ?)“とんでもなく落ち着きのない、乱暴で困ったガキ(幼児)”として描かれていました。
 その子のことで母親が悩んでいる最中、昔主人公の家でお手伝いをやっていて今は同居人となっている年配の女性が、こんなことを言います、
(生まれながら)手のかかる子はいますよ。だからそんな子は、みんなで手をかければいいんです」
 手がかかるんだからみんなで手をかければいい――いいセリフだと思いました。

 子どもが大変だと、特に母親は自分の育て方のせいにしたがりますがそんなことはありません。生まれたときから育てにくい子と、(少なくとも乳幼児期は)誰がやってもうまく育つ子はいるのです。難しい子はみんなで育てればいいのです。

 *さて1970年前後のことを振り返るつもりが思わぬところで時間をかけてしまいました。続きは明日に回します。

 

                               (この稿、続く)