「遠いあの日」1〜『べっぴんさん』

 以前にも書きましたがNHKの朝の連続ドラマをVTRで撮っておき、夜、夫婦で見るのを楽しみにしています――と言うか、それ以外に夫婦で一緒にすることがまったくない、それが子育ても終わり、片方は仕事も終わってしまった私たち夫婦の現在の在り方です。

 現在放送中の朝ドラは「べっぴんさん」。戦後4人の女性が始めた子ども向け手づくり洋品店が宮中御用達となり、大きなビルを持つまでになって今はちょうど大阪万博起爆剤にさらに飛躍しようというところです。

 特に昨日今日の放送では当時の記録フィルムがふんだんに使われ、当時高校生だった私には懐かしい限りです。妻も、
「そう言えばお祖父ちゃん(妻の実父)も万博に行って、メキシコ館で大きな帽子を買ってきたことを覚えている、私には何のお土産だったかは覚えてないけど」
と懐かしがっています。

【なぜ私は大阪万博に行かなかったのだろう?】

 それで気がついたのですが、私の父も万博に行ったのに母は行っていない、私も行っていない、もちろん弟も行っていない、そもそも家族で万博に行こうという発想が誰にもなかったのです。海水浴や温泉には行ったので家族旅行の発想がなかったわけでもないと思うのですが、万博のような大イベントに大金を使って連れて行くという考えはなかった――、そう言えば「べっぴんさん」の中でも万博のバッグを振り回して「行ってきたぞー!!」と叫ぶおっちゃんの姿はあっても子どもの姿はありませんでした。

 今だったら、私だったら、自分自身を後回しにしても子どもたちに行かせたいと思うのに、当時はまるでそんなふうに考えなかったのです。庶民にとってはそういう時代だったと、そういうことなのかもしれません。
 

【昭和のファッション】

 そう思ってドラマを見ると様々なことが分かってきます。
 例えばドラマの中では重要な役である男性ファッションメーカー「エイス」の社長岩佐栄輔は、年じゅう両手または片手をズボンのポケットに突っ込んでいますが、当時のカッコウいい男の子はみんなそうしていたのです。そうすることがカッコウいいと思い込んでいました。

 それはたぶん不良文化からヒントを得たもので、昔の不良少年たちはナイフやらメリケンサックやらといった危険なものをいつもポケットに忍ばせて、いざというときすぐに取り出せるようにしていましたからどうしてもそういうカッコウになるのです。

 「エイス」のモデルは「株式会社ヴァンヂャケット」で、当時の「VANブランド」はいわゆるアイビールックの最高峰でした。
 アイビールックというのはアメリ東海岸の名門大学グループ(アイビーリーグ)に由来するファッションですから徹底的なお坊ちゃんスタイルなのですが、それが不良めいた仕草をする、そこが不思議にもカッコウよかったのでしょう。

 ファッションと言えば主人公の娘で、アメリカ留学から帰ってきたばかりの女性がシャツの裾をズボンの外に出しているのがとても気になりました。シャツを外に出すのはどう考えてもここ十数年のファッションで、1970年前後の日本でそんなだらしのない着方をする子はいなかったはずなのです。
――と考えているうちに、もしかしたらアメリカにいたころ(70年前後)の草間彌生の写真にシャツ出しのものがあったのかもしれない、とそんなふうに思うようになりました。そういうものを見たような気がするのです。
 もっとも当時のアメリカ映画には「彼の家に泊まってパジャマ代わりにシャツを借りる」といた場面が幾度となく出て来ましたからその印象かもしれません。

 いずれにしろ昭和の場面に時代考証が必要になってきた、というだけでも驚きです。

(この稿、続く)