カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「遠いあの日」3〜訃報

 ムッシュかまやつかまやつひろし)さんが亡くなりました。78歳なので「早すぎる死」みたいな修飾はつきません。かつてのアイドルの死が「妥当な年齢」というのが少々ショックです。時は経ったものです。

 ムッシュかまやつと言っても若い人は知らないでしょう。1960年代後半、日本のポップス界に君臨したスーパー・アイドル・グループ(なんて当時は言いませんでしたが)、グループサウンズ「ザ・スパイダーズ」の有力メンバーの一人です。ただし「有力メンバー」といっても「ザ・スパイダーズ」はほぼ全員が有力メンバーなので当時はむしろ目立たなかったとさえ言えます。

【ザ・スパイダーズ、ザ・スーパースター】

「ザ・スパイダーズ」がどれくらいすごかったかと言うと、当時始まったばかりのオリコンチャートで「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」(4位)「あの時君は若かった」(6位)などを次々と上位にランクインさせ、1966年の「夕日が泣いている」では売り上げ120万枚!! 
 もちろん出す曲すべてがミリオンセラーというAKBなどには遠く及びませんが、当時のレコード(CDなんかなかった)の相対的値段、あるいは「高価なステレオセットを買ったおかげでレコードは買えず、3ヵ月も同じ同じアルバムを聞いていた」といった状況を考えると、120万枚はハンパな数ではないのです。
 そのほか主演映画は5本(主演以外も含めると12本)。誰も日本のロックなどに興味を持たなかった時代にヨーロッパツアーを敢行し、イギリスでは伝説的音楽情報番組にも出演したりしています。

 1966年にリリースした「アルバム No.1」は当時の日本のロックバンド・アルバムとしては屈指の出来であり、日本語ロックの草分けと言われています(ただしあまりにもロック過ぎて売れなかった)。
 

【しかし実際、売れたのは】

 実は正統派ロックグループとしてスタートしたのに、実際に売れた曲のほとんどはロック・バラード。マイナー曲ばかりで、コンサート会場は別として、ステレオセットの前で聞くときはみんなしんみりとしていたりしました。
 考えてみるとビートルズだって日本でヒットしたのは「イエスタディ」「ノルウェーの森」といった静かな曲ばかりです。「サージャント・ペパーズ〜」なんて発売されたときはさっぱり分からなかった。

 おまけにグループなので服装を揃えようとしたらこれがナント18世紀ヨーロッパの軍隊風(ミリタリールックと言った)。のちに宝塚でやった「ベルサイユのばら」の先取りみたいなもので、今ふと思ったのですが、ある意味、半世紀前のコスプレーヤーみたいなものでした。
 

【訳の分からない時代】

 なぜ「ザ・スパイダーズ」はあんな訳の分からないことをやっていたのか。
 そう思って1967年のレコード売り上げベストテンを調べたら、

1位 ブルー・シャトー (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
2位 夜霧よ今夜もありがとう(石原裕次郎
3位 この広い野原いっぱい (森山良子)
4位 真赤な太陽 (美空ひばり・ブルー・コメッツ)
5位 銀色の道 (ザ・ピーナッツ
6位 恋のハレルヤ (黛ジュン
7位 君だけに愛を (ザ・タイガース
8位 帰ってきたヨッパライ (ザ・フォーク・クルセーダーズ)
9位 雨の銀座    (黒沢明ロス・プリモス
10位 小樽のひとよ (鶴岡雅義と東京ロマンチカ

 グループサウンズフォークソングとムード歌謡がほぼ拮抗し、美空ひばりがロック(風)の「真っ赤な太陽」で「柔」「悲しい酒」に続くビッグヒットを飛ばし、「帰ってきたヨッパライ」に感化されてバスの中で「オラは死んじまっただ〜 (^^♪)」と歌った小学生が怒った運転手に降ろされてしまったといった事件まで起きる――そんな大変な時代だったのです。
 要するに音楽が、歌謡界が、芸能界が、どちらに進めばいいのか分からない時代だったのです。

【そのとき社会は】

 一歩外に出ると政治の季節で、大学生たちは垢まみれの顔に薄汚れた服装、首にはタオルを巻いて頭にはヘルメット、手に角材――別に建築現場に向かうわけではなく、それで警官隊をぶっ叩こうと張り切っていたのです。
 2000人の武装学生と警察官が新宿駅構内で戦争さながらの乱闘を果たした(「新宿騒乱」)なんて、当時をリアルタイムで生きた私さえ信じられないことです。

 じゃあ60年代後半の社会は殺伐としていたかと言うとそうでもなく、武闘派学生と同じように平和を求める別の人々は、ヒッピーとかフーテンとか呼ばれ、マリファナ吸ったりシンナー吸ったり、「ラブ&ピース」とか言いながら長髪に長いひげ、絵を描かせれば原色ギトギトのサイケデリック・アート、音楽をやらせればインド音楽を交えた不思議な曲――全員が仙人か教祖かそのまた信者になってしまったような様子です。
 当時の私としては「武闘派学生」「ラブ&ピース」どちらに進んでいいのか分からなくなる始末です。

 さらに言えばそれを押さえるべき大人たちも落ち着きを欠き、「ピーコック革命(クジャクのオスみたいに男もおしゃれをしよう)!!」とか言ってサラリーマンのスーツの下のシャツがピンクやブルーになってしまい、女性はオバチャンからオバーチャンまでミニスカート一色になったかと思うとシースルーとかで禁断の下着が外から見えるようになってしまう!

【時代が変わる】

 いま改めて整理し直すと60年代後半というのはとんでもなく訳の分からない時代でした。何でもできそうでだから何も始められない、明るく面白おかしく不安で陰鬱な、妙な時代です。
 私は高校生でしたがよく精神を病まずに生きてこれたものです。その60年代が終わって、70年万国博が終わると、呆れたことに社会はすうっと収斂していくのです。

(この稿、続く)