カイト・カフェ

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「でき婚に乾杯!」~親心の話②

 子どもが優秀だったら心配しないというのは一面の真実で、考えてみると十数年前の私もそうですし、半世紀近く以前の私の親もそうだったに違いありません。

 子が期待のタレントとしてすでにデビューしているとか、2020年の期待の星だとか、あるいは単純に学業成績が天才的に優れているとかだったら何の問題もありません。
 子どもが全国中学生選抜将棋選手権大会の覇者だとか、全国中学校相撲選手権大会のチャンピオンだったりした場合、高校へ行けというのはむしろ愚かです。すぐに奨励会(プロ棋士の養成機関)や角界に入れるべきでしょう。
 親として子が心配なのは、ひとえにその子が“普通”だったからです。少しぐらいお勉強ができたくらいでは安心して世の中に送り出すわけにはいきません。お勉強ができなければなおさらです。何の取り柄もない子どもに「高卒」の学歴すらつけてやらずに世に送り出すのは、親として耐えがたい恐怖なのです。
 しかしそれを言葉で表現すると、
「せめて高校はだけは出ておけ、できれば有名進学校から有名大学へ」
とまるきり平凡な言い方になってしまいます。これでは子どもの反発を受けても仕方ありません。

(話を元に戻して夫婦同伴の忘年会の「ホント、まるっきり結婚する気がなくて困っちゃう」から)
 愚痴の言い合いの中から、一人の母親が、
「もうこうなったらデキ婚でも何でもいいから早くしてって気持ちになっちゃう!」
 そこで私は言います。
「デキ婚なんて最高じゃないか!」

「子どもが結婚しない」の次の悩みは「なかなか赤ちゃんができない」です。私の姪は晩婚のせいもあってか子宝に恵まれるまでに大変な苦労をしました。その姿を見ていると「デキ婚」こそ親のふたつの悩みを、一挙に解決する妙法にしか見えなくなります。
 それに「赤ちゃんができたから結婚しなければならない」というのは、それはそれで現代の道徳とも言えます。彼の国では赤ん坊ができたら男は女を捨てるのが普通です。それに比べたらどれくらい立派なことかわかりません。そもそも現代日本にあって、「デキ婚」などまったく珍しくもないのです。

 子が百点満点の配偶者を得るなどめったにないことです。百点満点の結婚をするということもありません(相当な相手を連れてきても気に入らないのが普通ですから)。だとしたら何を諦めるかというのがテーマになります。
 つまるところ、相手が許容範囲にいるなら、ほかのことはたいてい諦められます。足らぬところはそこから婿育て・嫁育て・夫婦育てをすればいいだけのことですから。

「迷ってはいけない。この人だと思ったらすぐに結婚しなさい。後悔なんてあとでしかできないのだから。
 大学を出てすぐに23歳で結婚して3年で嫌になって別れても26歳。心の傷が癒されるまで3年待って29歳。そこから結婚レースに再エントリーしても、まだスタートラインにはたっぷり仲間が残っているよ」
 そう言って高校生の娘を唆していたのは私です。

 忘年会の席で、
「目指せ“デキ婚”! 煽れ、結婚!」
 何度目かの“乾杯”をしながらそう叫んだのも、あながち酔っぱらっていたからではありません。