カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「元ヤンの娘」~これも人の子③

 息子のアキュラが生まれたとき、二人部屋で妻の隣にいた人は二十歳そこそこの元ヤンみたいな女性でした。当時の田舎としては珍しい完全な金髪で、目にも鋭い光がありました。
 ただ、妻とは気が合ったみたいで、様々に話をしたようです。
「十代の恋は死ぬか孕むか」という言葉を教えくれたのもこの人です。

 妻とは一まわり以上も違うのに二人とも二度目の出産で、三歳くらいの女の子が毎日見舞いに来るのも同じです。ただしその子を連れてくるのはいつもお祖母ちゃんで、赤ん坊の父親にあたる人が来たのは退院のわずか二日前のことでした。
 後で聞くと、その日、隣りの女性は妻が聞こえないように押し殺した声で(しかし全部聞こえた)、夫にあたる人にこう言ったそうです。
「ふざけるなよ。てめェ!ぜってぇ忘れねぇからな」

 私の方はアキュラが生まれたその朝にはシーナと一緒に赤ん坊の顔を見に行っていますから、隣りの女性もたまらなかったのかもしれません。仮に仕事が忙しかったにしても五日に渡って顔を見せないというのもおかしな話です。今と違って携帯もメールもない時代ですから呼ばれないのをいいことに、毎日遊び歩いていたのかもしれません。
「てめェ!ぜってぇ忘れねぇからな」と言った若い母親の気持ちの方がむしろ理解できます。
「ただねぇ」と妻は言います。
「あの子(隣りの母親のこと)、あんなしゃべり方をするいかにも元ヤンだけど、赤ちゃんのあつかい、ほんとうに丁寧なのよ。授乳の時間にはオッパイをあげる前と後で必ず体重を測って記録に取ってるし、しょっちゅう話しかけてる・・・」
 ウチはやってねえのか、オイ? とツッコミたくなるような話ですが、こちらの方は三十半ばを過ぎてかなり図太くなった母親で、同じ二人目とはいえ、若い母親とはものの感じ方も考え方も違うのかもしれません。

 当時教えていた子どもたちと大差ない年ごろのその母親を見て、私は、そんな男と一緒で大丈夫だろうかと心配しながら、むしろ男なしの方がこの子はうまくやっていけるのかもしれないと思ったりもしました。

 その母子とはその後一度も会うことはありませんでした。
 同じ朝に生まれた子(あちらは女の子)ですからもう23歳。母親がその子を産んだ年を越えてしまったことになります。どんな育ちをしているかわかりませんが、二人目であるにも関わらず、あんなに丁寧にあつかってもらった子です。おそらく幸せに暮らしているのではないでしょうか。

 教師として長い間にたくさんの子どもたちを見てきて、しばしばこの子には我慢ならないと感じることがありました。
 コツコツと一緒に積み上げてきたことを一瞬のちゃぶ台返しで台無しにしたり、教師に当たればいいものを同級生につらく当たったり、懇切丁寧に話し指導したその夜に非行事実をつくったりと、そのたびに口惜しい思いをしたりホゾを噛んだりしましたが、その腹立たしい子も、また人の子なのです。
 私もたびたびそのことを忘れ、悪態をつくことも少なくありませんでした。しかしそれでもやはり子供たちの元へ戻っていかなくてはならないのです。

 お前は本当に困ったヤツだ、自分で自分をコントロールできない。子どもだからな。
 オレもいいかげん呆れ、疲れ、うんざりして、投げ出したい気持ちだがお前も人の子、真剣にお前のことを見つめ、愛し、慈しんだ人がいる以上、もう一度オレもやってみようと思うよ。

(この稿、終了)