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「教育用語の基礎知識」⑤〜向き合う・寄り添うB

「きちんとお子さんと向き合ってください」「向き合うというのは問題について、お互いに要求を出し合い、時間をかけて調整することです」(ふつうはもっと柔らかいい方になりますが)
 そんなふうに言われて戸惑う親御さんたちがいます。きっといるはずです。困ったことに、教師がそんなふうに言いたくなるお宅は、普通、すでに親子が向き合う条件が失われているからです。

「いざというときはお父さん」とか「最後は父親の出番」とかいった言い方がありますが、日ごろからほとんど人間関係ができていない「お父さん」が、突然出てきても話になりません。
 水戸黄門の印籠ではないのです。あの印籠には「葵のご紋」という権威・権力が張り付いているから有効なのであって、単なる真っ黒な薬品ケースだったら何の効果もないでしょう。「父親」は100年以上前だったら家庭内で「葵のご紋」くらいの権威・権力を持っていましたが、今は単なる「ウチの中にいる、おとなの男の人」です。何の効果もありません。とりあえず子どもの前に座った時点で、何を言ったら分からない父親もたくさんいます。

 一方、子どもの方がいちいち反抗的で聞く耳をもたないという場合もあります。何を言っても糠に釘、さっぱり答えが返ってこないので話にならない、そんな家庭も多そうです。
「向き合って」真剣に話し合うことが有効な家はこれまでもそうしてきた家、つまりデーモンの分類でいえば「子どもに対する要求が高く、同時に子どもの意見や感情を尊重する親」のいるところだけなのかもしれません。
 だとしたら次に何ができるのか。「寄り添う」はどうか。

 以前にも書きましたが、「寄り添う」について、私には一つのイメージがあります。それは広い広い夜の砂(すな)砂漠を、並んで歩く親子の姿です。
 息子が最悪の方向に向かっていくのを、母親が一緒に歩くと見せかけて、静かに肩を押しながら別の方向に誘導しているのです。その目の隅には数キロ先のオアシスがとらえられています。しかし「あそこへ行こう」と言えば息子は無理と違う方向へ向かってしまいます。そんなことはこれまでも何百遍となく経験してきたことです。素直に言うことを聞くような子ではないのです。わざと逆のことをしたりします。
 そこでできるだけわからないように、どうでもいい話で時間をつぶしながら、それとなく進路を変えていくのです。
 これは積極的で華やかな方法ではありません。地道で繊細で、神経質なくらい辛抱強い取り組みです。今日明日何とかしようという話ではなく、10年たったらあの近くにいたいな、といった程度の息の長い取り組みです。例えば非行や引きこもりで、打てそうな手を打ち尽くし最後に頼る、唯一可能性のある方法です。

 私はこれまで幾度となくこの話をしてきました。私個人としてはよくわかる譬えのつもりで話してきましたが、具体的に明日どうするのかというと、まだまだ十分でなかったのかもしれません。そこで思いついたのがコーチング理論です。

(この稿、続く)