カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なんでも気持ちよく食べる力」〜学校教育様様、学校給食様様

 古い仲間と一カ月おきに開いている飲み会に行ってきました。
 古いといっても中高生のころからなので、かれこれ半世紀の付き合いとなります。隔月で当番が決まっていて、その月になると場所と日時を決め、連絡するだけなので全員が集まることは稀です。
 昔と違ってきたのは、ほとんどが定年で退職していますので週日に会えるようになったこと、翌日を考えずに飲めることなどです。しかし飲む量はむしろ減りました。

 さて、今回は普段と違った趣向がありました。それは焼鳥屋さんでの会だったということです。そしてそれは、私にとって少し困ったことでした。実は内臓系の食材がほとんどダメなのです。

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【生来の好き嫌い】

「生来の」というのは言い過ぎですが子どものころから好き嫌いが多く、食べられるものが極端に偏っていました。
 親のせいにするのもいかがかとも思うのですが、やはり子どものころの食生活には問題がありました。病弱で食も細かった私に、母は食べやすいもの、好むものしか用意しなかったようなのです。もともと料理の苦手な人だったので、私が成長してそこそこ健康になってからも、ほとんど毎日のように「何食べたい?」と言うので私も好きな食べ物しか言わない、するとそれしか出てこない、そんな育ち方をしたのです。

 それでも実家にいた時は問題になりませんでした。一人暮らしも問題ない。とにかく自分の好きなものだけを食べていればいいのですから、問題など起こりようがないのです。
 ところが就職して公の席で食事をする段になると、いろいろ不都合も出てきます。その最たるいものは宴会です。

 酢の物が食べられない、魚の煮つけなど凝ったものが食べられない、魚卵が苦手、刺身も光物がイヤ、貝類もダメ、となると食べられるものが極端に少なくなってしまいます。おまけに酒も強くありませんから当時3000円程度の会費のうち、500円分も飲み食いできたかどうか――たいへんな欲求不満を抱えて帰るのが常でした。

【それなりに頑張った】

 結婚したとき、妻になったばかりの人にこんな話をしました。
「とにかく出されたものは何でも食べるから、『今日、何食べたい?』とは絶対に聞かないでくれ」
 母と一緒に時のように毎日「食べたいもの」を考えるのが嫌だったのです。さらにこれを機会に、好き嫌いを少しでも減らそうという気持ちもありました。

 以来30年近く、外食に出かけるとき和食か中華か洋食か、という意味で「何食べたい?」と聞かれることはあっても、日常食で聞かれることはありません。私も約束を守って出されるものはすべてを食べるようにしてきました。もつ煮、レバニラ等の内臓系以外のものは・・・。

 何がいけないのかはうまく説明できないのですが、やはりイメージなのでしょうね。もつ煮に手を出そうとしても焼鳥をつまんでも、あのカエルの解剖実験のときの一か所を引っ張るとみんなズルズルとついてきそうな内臓の塊が頭に浮かんできそうなのです。目の前にある肉の塊より、原形の方が鮮やかに浮かんでくる――。

 好き嫌いもひとつぐらいなら個性です(と子どもたちにも言って許してきました)。モツが食べられなくても昔のように宴会でニッチもサッチもいかないということはなさそうです。妻にもそれだけは例外にしていただき、今日に至っています。

 

【きちんと育てられた子】

 少し話は変わりますが、私は修学旅行などで子どもたちと食べるバイキングというのが好きではありませんでした。なぜならそこに子どもたちの我が儘な姿がたくさん見られるからです。
 好きなものばかり山盛りで持ってくる子、最初からデザートだらけの子、そもそもほとんど食べようとしない子・・・クラスの中にはそんな子が必ず何人かはいます。

 私は自分がそうだったので、子どもが食事をきちんととれないことは嫌いです。健康に食べられない子は不幸だと思っています。ですからそれを見せつけられるバイキングという食事がいつまでも好きになれなかったのです。

 ところがある年、引率の応援でひとつ上の学年の修学旅行に行って、驚くべきものを目撃しました。担任の先生も含め、テーブルに持ち寄られた食事はどれもこれもすべて良く考えられ、栄養の偏りのないものになっていたのです。
 注意して聞いていると、「野菜が足りない」だの「乳製品が少ない」だの、本気でバランスを考える言葉があちこちから聞こえてきます。大真面目で自分の食事を計算しているのです。
 もちろんそういうことのできる子は、どこの学校のどの学年にもいますが、ほとんど全員ができるということはまずありません。
 翌日も昼食がバイキングで、しかも前日と違ってケーキやアイスクリームやチョコレート・フォンデュやら、甘いものがたっぷりのお店――。けれど子どもたちはここでもきちんとした食事を揃えることができたました。修学旅行に向けて、そういう指導を受けてきたのですね。

 子どもたちもすごかったですが、そうしたことに気が回り、指導してきた先生も大したものだと思いました。
 修学旅行は観光や思い出づくりではなく、教育の一部ですから食事についても事前学習し、本番できちんとできなければいけない――そういうことを教えられたできごとでした。

【私のことに戻って――学校給食様様】

 ところでこの文章の最初の方で、
 子どものころから好き嫌いが多く、食べられるものが極端に偏っていました。
と書きながら自分で首を傾げたことがあります。宴会では食べるものがなくて困ってばかりだったのに、給食で苦労した記憶がほとんどないのです。自分が小学生だった時も教師になってからも。(レバー炒めを出すのが好きな学校があって、それにはまいりましたが)

 学校が私に合わせてくれるはずはありませんから、おそらく私の方から次第に慣れていったのでしょう。記憶にないだけで小学校の1-2年生のころは苦労していたのかもしれません。
 逆に言えば、学校給食がなかったら私はとんでもなく我が儘で偏った食事しかとれない、本当に困った大人になっていたのかもしれないのです。

 まったく学校給食様様です。