「花嫁になる若き女性への手紙」~幸せになりなさい

 娘のシーナの友だちのエリカが結婚式を挙げます。今週末のことです。
 大学時代は同じサークルで特に仲良く、一緒に海外旅行に行ったりシーナの結婚式の際は友人代表のスピーチやら二次会の余興やらと八面六臂の大活躍をしてくれた人です。また、そのお母さんからは結婚指輪のリング・ピロー(指輪の交換までリングを置いておく小さな布団のようなもの)を贈られるなど、家族ぐるみでお世話になった子です。それだけに私たちも張り切らざるをえませんでした。

 以下、シーナの友人の「花嫁になる若き女性への手紙」

  エリカさん ご結婚おめでとうございます。

 4年生大学を出て就職し、その仕事に慣れてしかも20歳代の半ばで結婚するというのは容易なことではありません。そんな中にあってシーナ同様、早い時期によき伴侶と会えたことはほんとうに運の良いことです。神様がついていてくれた証拠です。よき生き方をしてきた人を神様が忘れることはありません。

 今から30年ほど前、私たちの結婚式に立ち会ってくれた神父さんがこうおっしゃいました。
「二人はもはや別々のものではなく一体のものです。神が結び合わせたものを人が引き裂いてはいけません」

 これは聖書の中の有名な言葉で、結婚式には繰り返し使われる一節のようです。けれど当時はそんなことは知りませんでしたので、私にはとても新鮮で繰り返し心の中で反芻し、以後ずっと大切にしてきた言葉です。しかしだからといって神様は、二人を結び合わせることで幸せを保証してくれたわけでもありません。
 実際、平和で安定していることだけを望むなら、一人でいる方がよほどましなのです。何でも自分で決め自分で責任を取り、戦うにしろ逃げるにしろ守るべきものが自分しかないとしたら世界はほんとうに簡単です。私たちの生活が厄介で難しいのはそばに他者がいるからで、しかしその厄介さ難しさは、私たちの想像に反して案外悪いものではないのかもしれないのです。

 結婚して他者と暮らすことは否応なく私たちを変えます。人の子であり社会の一員であった上にもうひとつ、「配偶者」という属性がつくからです。「妻」または「夫」という名前がつくと、それなりの変化を遂げなくてはなりません。それらしく振舞わなければならないというより、必然的に生き方を捻じ曲げられてしまうのです。

 やがて私たちは「親」という属性も持つようになります。今度は困ったことに、乳幼児の「親」と小学生の「親」(それも低学年の子の「親」と高学年の子の「親」)、中学生の「親」と高校生の「親」とでは、求められるものが異なってくるのです。そのたびに “脱皮”もしくは“自己更新”しなければなりません。家族の成長に合わせて自分もまた変化し成長を遂げていく、それこそが家族を持つ醍醐味であり、喜びなのです。

 エリカさんはこの二年余り、シーナがどんどん変わり、次々と別の形の幸せを手に入れていく様子を見てこられたでしょう? 今あなたに起りつつあるのはそうした奇跡です。
 私たちは確かな予感とともに、これからのエリカさんの身に起る様々な奇跡を、ワクワクした気持ちで見守っていこうと思っています。

 荷物に入れたエプロンは、妻と私との共同制作です。

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「一人でつくってもいいのだけれど――」
と妻は言います。
「お父さんは几帳面だから必ず細かなところまで丁寧にやってくれる。それに二人でつくったものならエリカさんもきっと喜んでくれるはず」
 そう言われて始めたことですが、これがなかなか盛り上がる楽しい経験でした。

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 妻としては、
「夫婦ってこんなふうに協力して楽しむこともできるんだよ」
――そういう見本を見せたつもりでしょうが、私としては、
「夫というのはこんなふうにするとうまく動かせるのよ」
という手本になったのではないかと心配しています(ご主人のために)。

 同梱のご飯茶碗、これも手作りだといいのですがそこまでは手が回りませんでした。両方とも誰でも思いつきそうな品で「お祝い被り」は覚悟の上です。しかしどちらも消耗品ですからいつかは役に立つものと思っています。
 どうぞお二人で使ってください。

 それでは、
 エリカさん、お幸せに。
 お父様、お母様にもよろしくお伝えください。シーナの結婚式の際のリング・ピローのお礼も申し上げてありませんので。

                     2016年7月 吉日

                             SuperT
                             ミーナ