「事態の見積もり」①〜岩手いじめ自殺事件の違和感 Ⅳ

 村松君が最後まで信頼を寄せ感謝のことばを忘れなかった担任教師、おそらく彼女はすべき対応をしていた。にもかかわらず自殺を防げなかった――彼女は何を見誤ったのでしょう?
 ここから先は憶測でしかないのですが、私は事実の重大性の見積もりが違っていたのではないかと思うのです。
「氏んでいいですか」と言い「もう市ぬ場所はきまってるんですけどね」と書いてあっても担任は喫緊の事態だとは感じていなかったのではないか。

「死」という字を避けたのはそれだけ思いが強かった証拠だと想像する専門家もいますが「氏ぬ」「市ね」といった表現はネット住民にはありふれたものです。もともとは「死ね」をNGワードとして削除対象にする掲示板があって、それをかいくぐるために発明された表記とされていますが、「氏ね」は「死ね」と比べて軽い表現であり「本気で死んでほしいと思っているわけではない」という含みがあるとも言います。
 中学校の教師はこういう表現には慣れていますから、そのことが判断を誤らせたのかもしれません。
 しかしそれ以上に、個々の相談内容、行ってきた対応によって、担任教師はまさか本当に自殺に至るとは思っていなかった、だからこそ自殺の予告を学校全体の問題とはせず、6月の面談でも男子を後回しにして結局村松君の番は回ってこなかったのだと思うのです。全体は自分の制御の範囲にある、そんなふうに考えていたのかもしれません。

 新聞に寄れば離婚して別居している村松君の母親は、
「10日に初めて読んだ村松君のノートで、同級生からの暴力や悪口に苦悩していたことを知ったといい、『ここまでひどいいじめとは…。なぜここまで追い詰められる必要があったのか』と悔しさと憤りを露わにした」産経新聞7月11日)
ということですが、その「ここまでひどいいじめ」の実態は分かっていません。
 運動会の練習中にしつこく砂をかけられていたとか「村松君が複数の男子生徒に殴られていたとの話を娘らから知らされていた」いった記事もありましたが、自殺につながりそうな事実は今のところ報道されてこないのです。
 その上で、次の記事は注目すべきでしょう。
村松さんの父親(40)によると、村松さんは昨年7月ごろ、父親に『部活動の際、すれ違う時わざと肩をぶつけられるのをくり返された』と訴えた。父親がその後、部活動の顧問の教諭に訴え、顧問、担任、村松さん、いじめをしたとされる同級生の4人で話し合いがもたれた。担任は同級生に『された方はいじめと受けとめかねない』と指導し、謝罪させたという」
 記事のタイトルは「1年時も『いじめ』訴え、学校は報告せず 岩手中2死亡」、朝日新聞デジタルの記事です。

 すれ違いざまにくりかえし肩をぶつけるのは確かに嫌がらせであり広義の「いじめ」です。しかしこの程度は学校生活でありふれたことで、「いじめ」と認定して厳罰に処するほどのことではないと普通の教師は考えます。このときの村松君の担任(現在の女性担任とは別の教員)も、指導し謝罪させていますが「いじめ」とは考えず、したがって町教委にも報告していません。
 された方はいじめと受けとめかねない――それは裏を返せば「客観的にはいじめではない」ということです。もう中学生ですからこのレベルを「いじめ」と認定して大人が介入すると、健全な人間関係は育たない、そんなふうに考えたのかもしれません。

 しかし「いじめ問題」は必ずしも客観的事実と一致しないことも少なくないのです。

(この稿、続く)