「事態の見積もり」②〜岩手いじめ自殺事件の違和感 Ⅴ

 もしかしたら今後、村松君が数百万円の恐喝にあっていた、あるいは激しい暴力にさらされていたというような事実が出て来るかもしれません。しかし現在のところは「しつこく砂をかけられていたとか」「悪口を言われた」とか、あるいは「部活動の際、すれ違う時わざと肩をぶつけられるのをくり返された」とかいった日常よくみられる事象だけです。担任が聞かされていたのもそうしたトラブルだったのかもしれません。

 ほんとうにひどい暴力やいじめがあったとすれば、たいていの教員は怯えて周りに相談するはずです。これは教員を信じるかどうかと言う問題ではなく、暴力を放置した教員がどういう処分を受けるかはみんな知っているからです。処分が出ないまでも保護者が校長や市町村教委に訴えれば、少なくとも面倒くさいことこの上ない――。教員が暴力やいじめや不登校を放置するはずはないという私の信頼は、そうした状況に基づいています。

 岩手の事件についても村松君の現在の担任は、1年生の担任や部活顧問と同じように、丁寧に対応しひとつひとつを解決した、そしてそれでいいと思っていた――そんな気がするのです。けれど実際に村松君が抱えていたのは、具体的な事象をひとつひとつ潰していけばいいといったものではなかったのです。
 もしかしたら村松君は崖淵を歩いていたのかも知れません。
 崖淵を歩く人を横からつつこうとする動きは、何としても阻止しなくてはなりません。しかしそれでこと足れりと考えるのも間違いです。ほんとうに解決すべきは、崖淵を歩いているその行為自体なのですから。

 何が村松君を崖に追い詰めたのかは分かりません。
 もしかしたらそれは、さまざまな集団の別々に行う小さな嫌がらせだったのかもしれません。それぞれは大したことでなくても、朝から晩まで行く先々で嫌がらせを受けたとなるとたまったものではありません。しかし“やる側”は横の連絡を取っていませんからそこまで追い詰めていることに気づきません。
 あるいはもっと別の、本人が語ることのなかった何かが村松君を崖まで運んでいたのかもしれません。それは本人に自覚できている場合もあればそうでない場合もあります。
 さらにあるいは、中学校2年生らしい、思春期の悩みがベースにあったのかもしれません。それも、今となってはわからないことです。
 崖淵の村松君を最後に押しやったのがいじめだったのかどうか、それも分かりません。崖まで追い込んだのがいじめで、最後の一押しはまったく別のものということだってありうるのですから。

 以上は私の憶測です。したがってまったくのお門違いだということも十分あり得ることです。しかし憶測で語っているのは私だけではないでしょう。世の教育評論家たちも私と違う特別な事実を握っているわけではないのです。そして双方憶測だとしたら、どちらが社会にとって有益か。
 ほとんどありえないような事象を前にして、それでも学校や社会を信頼し、そこに何らかの事情があるのだと考えるのと、「生徒殺人学校」「教育殺人」「こんな危険な学校 見たことも聞いたこともありません」と憤って、「わが子学校に行かない選択ありですよ♪」(オギ☆ブロ2015-07-14 08:04:21 )と学校不信を煽るのと――。

 繰り返し申し上げますが、いまの段階では憶測でしかものが語れないのですから。

(この稿、次回最終)