「子どもの人生の設計図」②

 娘のシーナに描いた人生に設計図は何ひとつ達成されなかった、どこに間違いがあったのか、というお話をしました。
 その原因をずいぶん長い間、高校入試の段階でシーナが意外に頑張ってしまったこと、そうした性格を見抜けなかったこと、そこにあるのだと思っていました。しかし時が経つに従って別の要因が浮かびます。それはそもそも自分で「自分の真の願い」に気づいていなかったということです。

「娘を看護師に」と願う前に前提となっていてあまり意識しないで来たことがあったのです。
 それは「子どもには、地元に残って安定した幸せな結婚生活をして、しかも同時にやりがいのある仕事を続けてほしい」ということです。
 なぜ地元に残ってほしいかというとまだまだシーナの役に立ちたい、助けてあげたいという気持ちがあるからです。なぜ有意義な仕事をもって続けてほしいかと言うとそれが人間として正しい生き方だと思っているからです。
 そこが出発点で、普通の女の子が努力すれば手に入る職業で直接ひとの役にたつものと考えたとき、頭に浮かんだのが看護師だった、それだけなのです。看護師はもちろん素晴らしい職業ですが、今、考えると看護師でなければならない特別な理由があったわけでもありません。

 自分の真の願いをきちんと意識してこなかったこと。
「地元に残って安定した幸せな結婚生活をして、しかもやりがいのある仕事を続けてほしい」と言葉にして思い浮かべなかったこと、それがおそらく敗因です。地元に残すことが最優先のなら、他に運び方はいくらでもありました。

 シーナは結局、都会の大学から教員になり、そちらの学校に就職してそちらで結婚してしまいました。それで私はがっかりしたでしょうか?
 案外そうでもないのです。少なくとも真の願いの後ろ半分はかなったからです。子どもの人生の設計図など、半分も実現できれば十分です。いまはそんなふうに思えます。
「娘をA高校からK大学へ進学させ県立こども医療センターへ」という望みがかなったとして、もしかしたらそのまま、シーナはアフリカの奥地の看護ボランティアに行ってしまったのかもしれません。エボラ出血熱拡大期のリベリアあたりだったら気が気ではありません。
 真面目な努力家で目標を持って生きるのが好きな子ですから、機会があれば何か野望をもって海外にも行きかねないのです。

 もちろん、何の実績もないのにハリウッドに行ってダンサーになるとか言い出したら堂々と反対できるところですが、看護師免許をもって実績も積んだ娘が「アフリカの子どもたちのために働きたい」などと言いだしたら反対しようがありません。どう説得しても私的で身勝手で矮小な、あるいは心配性の話でしかなくなるからです。かくして娘は2万kmの果ての住人です。そこまで覚悟を決めてしまうと結婚すら覚束ないのです。

 シーナは教員になってともあれ日本国内にいてくれます。それでよしとするしかありません。そう考えて私は大いに満足することにしました。

(この稿、終了)