カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「いのちのこと」10〜翌日から

  出産の翌日、エージュは休みを取って一日シーナの病室で過ごしました。
 カーテンで囲い込んだあんな狭い空間で何をしていたのかは謎ですが、何をするというでもない時間を、いくらでも過ごせる夫婦のようです。
 赤ん坊には「ハーヴ」という名がつけられした(もちろん仮名。本名は普通というよりむしろ古風なものです)。出産のはるか以前から男の子だとわかっていましたから、名前を付けるのは早かったのです。

 ハーヴが生まれた翌日はエージュがいたので遠慮もしましたが、エージュが帰った後もこれといった用事があるわけではありません。朝晩一度ずつ面会し、何か用があるかないか聞くだけです。ただしそんな短い会話の中にも、新しい報告がいくつかあります。

 昨日は保育器に手を入れて赤ちゃんに触らせてもらった。

 今朝は時間外に哺乳の様子を見せてもらった。

 午後、保育器に手を入れて哺乳させてもらった。

 明日は調子が良ければ保育器から出して哺乳できるかもしない。

 そんな小さな、普通の出産だったら当たり前のことがいちいち喜びなのです。私はなんだか切なくなりました。

 木曜日の夕方、看護師に何くれと世話をやかれている保育器の中のハーヴの姿を、新生児室の窓から見ることができました。シーナはこんなふうに言います。
「私の武器は声だけでしょ? お腹にいるときからずっと話しかけてきたから、ハーヴは私の声ならわかるの。でもガラスの外からじゃ声も届かない。だから念力を送るの。
『その人(看護師)はいい人だけど、お母さんじゃないから間違っちゃだめよ』ってね」
 私は笑って言います。
「そんなことあるかよ、鳥じゃねえんだから」
 しかしその気持ちがわからないわけではありません。

「お父さん、私ね、短い期間だけど特別支援学校の先生をやってきて本当に良かったと思っている。たくさんの親子を見てきて、結局は愛がすべてだとわかるから。
 どんなに重度の子でも、親に愛があればその子は幸せだし目いっぱい能力を伸ばせる。親に愛さえあれば必ず何とかなる。ハーヴに何かの障害が残っても、私は何とかやっていける」
 そこで私は言います。
「ハーヴはね、シーナとエージュの子として生まれたというだけで幸せを保証されたような子だよ。父はそう思うけどね」

 しかしシーナは産後の数日を、そんなふうに前向きに、素直に過ごしていただけではありません。
 会いに行くとベッドに横たわったシーナは必ず耳にアイポッドのイヤホンを入れていて、そのたびに肩をたたいて目を開けさせなくてはなりませんでした。24時間、人と話すとき以外は眠る時間も音楽を流している――それは母子同室の赤ん坊の声を聞かないで済むようにするためでした。「私は嫉妬している」――それも、シーナの口から初めて聞く言葉です。
「ほかの赤ちゃんはみんな産着を着て、新生児室の中ですやすや眠っているでしょ。それなのにウチの子はその向こうで、紙オムツだけの裸ん坊なんだよ」
 笑いながらもそんなふうに嘆くシーナを見て、ああその感じ方は私にはないなあと、妙に感心したりもした。

 少し長い話をしたり飲み物を飲んだりするために談話室に来ると、折あしく赤ん坊を挟んで新米のお母さんと見舞客が話を始めることがあります。
「もうホントに勘弁してほしい、一晩でいいからゆっくり寝させてって感じ。2時間おきに目を覚まして泣くんだから、だれかに預かってもらいたい――」
 それは新米のお母さんにありがちなことだし、愚痴を言いながらも本気でないことは十分わかります。しかしそれが耳に入っているとしたら、シーナはどう感じているのか。
 私は少し、その若い女性を憎んだりします。
 それでも金曜日になると、ハーヴは保育器を出て、シーナの乳房からも直接母乳を飲むまでになりました。 

                             (この稿、続く)