カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子どもの人生の設計図」①

 娘のシーナが生まれる以前、というよりは結婚するはるか以前から、私は女の子が生まれたら看護師にしようと思っていました。教員もいいですが、もっと直接的に人の役に立ち成果の見えるものをと考えたからです。幸い女の子に恵まれ、素直な子でしたので本人もずっと看護師になるものだと思って育ちました。

 看護師に至る道筋もしっかりしていて、地元のA高校からこれも地元のK看護大学に進み、県立のこども医療センターの看護師になる、それが設計図です。K看護大もそこそこの難関ですから高校のランキングでA高校以上、もしくはその1ランク下くらいに入っていないとなかなか合格の見通しが立ちません。
 しかしシーナの成績ではA高校はなかなか難しい目標でした。中学2年生の中ごろ偶然A高校の前を車で通った際、校門の前にたむろする生徒たちを見て、娘が「この人たち、みんな頭がいいんだよね」とため息交じりにつぶやいたの姿をよく覚えています。

 ところがシーナという娘は、教員としてたくさんの子どもたちを見てきた私も舌を巻くような努力家で、1年半後にはA高校を越えてそれよりもレベルの高い学校に合格するまでになっていたのです。
 ここで計画が一手狂います。そしてその狂いのために、二手目も狂ってきます。
 努力だけでのし上がってきた娘なのに意識だけはレベルの高い周囲に引きずられ、県内のK看護大ではなく都会のさらにランクの高い大学を目指そうとし始めたのです。

 この段階で、“それは予定にない”と止めておけば良かったのです。しかし高校進学の時と同様に、努力する娘、成績を伸ばしていく娘を親として押さえることができなかったのです。一緒に喜び、どうしても応援してしまいます。そしてたった三手で全部が狂ってしまいます。高校生活の最後の段階になって、シーナは看護師という計画の本体まで放棄してしまうのです。
 医学部志望が目白押しの高校で、それにもでも看護師を目指すにはそれなりの動機が必要です。しかしそんなものはない、ただ父親に言われて思い込んできただけだと突然シーナは気づいてしまいます。もちろん医学部を目指すだけの力があれば医学部でもよかったのですが、努力だけでとうてい到達できるものではありません。そろそろ限界も見えていました。

 結局、シーナは都会の教育学部に進学し(教師を目指すと言えば父親を裏切らずに済むと思ったようです)、その土地で教員になって大学の先輩だった男性と結婚してしまいました。残念なことにそれもなかなかの好青年で、私も反対しきれませんでした。

 振り返ると、私の計画は何一つ達成されていないことに気づきます。看護師にもならず、地元にも戻らなかったのですから。
 どこに失敗があったのか。

(この稿、続く)