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「だれも気づかなかった虐待を“正義の人”が見ていた」~子どもの心にどんな小さな傷も与えてはいけない②

 静岡県裾野市の私立さくら保育園園児虐待事件。
 報道された内容がどうしても映像として浮かんでこない。
 しかしほぼ確実なのは、それを冷徹な”正義の人“が見ていたということだ。
 そしてやがて裾野に、全国の正義の目が集まってくる――。
 という話。(写真:フォトAC)

【何が起こっていたのか】 

 静岡県裾野市の私立保育園園児虐待事件、これに限らず報道が一斉に動く場合、しばしばマスコミは細かな点で信用ならないことがあります。各社こぞって記事にするといっても一日や二日で集まる情報は似たり寄ったりで、後追い記事はうっかりすると他社の書き写しみたいになってしまいますから多少色付けをするわけです。その色付け部分をそうとは知らず、別のメディアも引き写したりします。そのたびに事実から遠くなる。

 例えば静岡新聞に一日遅れで記事を書いた東京新聞「三人は四月から一歳児を担当しており、『しつけのつもりだった』と話している」と書きながら(2022.11.30東京新聞)、今月13日の記事では「動機は依然、はっきりしない。市は園側から『しつけのつもりだったようだ』と説明を受けた」と記し、さらに同じ記事の中で「容疑者の一人は、弁護士に『新型コロナで増えた業務と園児の世話に忙殺され、思わずやってしまった』と話している」とも書いています(2022.12.13東京新聞)。
 また14日のNHKニュースは「園児暴行事件 逮捕の38歳元保育士『身に覚えない』と容疑否認」とのタイトルで、動機どころかそもそもそんなことはやっていないと言っているのです。最初に「しつけのつもりだった」と語った三人はどこの三人だったのでしょう?
 
 NHKの記事にはこんな興味深い部分もあります。
「園が行った保護者説明会では、この元保育士について、園児にカッターナイフを見せていたなどと説明されていますが、関係者によりますと、元保育士は『この行為について、園からはヒアリングを受けていない』と話しているということです。
 そのうえで、元保育士は『刃が出た状態のカッターを筆箱から取り出した園児がいて危なかったので、カッターを取り上げてそれを見せながら注意したことはあるが、脅してはいない』などと説明しているということです」
 これが事実だとすると、第一に保育園の公表した「16の大罪」は容疑者たちとすり合わせたうえで三人が認めた虐待事実ではなく、告発者が訴えた内容そのものだった可能性が出て来ます。告発者の主観が土台だということです。
 さらにこれまで理解できずイメージもわかなかった「カッターナイフを見せて脅す」という行為も、とてもよく分かるようになりました。ナイフを見せて、例えば「先生の言うことを聞かないと刺すよ」と脅したのではなく、「こんなふうに刃の出たままのカッターナイフは危ないんだよ。絶対触っちゃだめなんだよ」と“脅した”のです。

【誰も虐待とは思っていなかった】

 私立さくら保育園の一歳児クラスは、児童23人を保育士6人で担当する仕組みになっていました。1保育室だったの二つに分かれていたのかは分かりません。しかしかなり狭い空間で起こったことは確かであり、虐待行為を「見ぬふりをしていた職員もいた」ということですので、そうとうに異常な状況があったことを思わせます、報道は。
 
 しかし狭い空間に6人の大人がいて、しかも日常的に虐待が行われていたという構図はやはり理解できません。
 もちろんオウム真理教事件や北九州監禁殺人事件のような例もありますから”集団心理に惑わされて”ということもありますが、その場合は全員が加害者であり被害者だったりします。6人のうち3人だけが加害者で、残りの三人は見て見ぬふりをした、あるいは本格的に静止をしなかったということは、やはり尋常ではありません。加害者は行為に加わらなかった者の目を意識しますし、仲間どおし行き過ぎがあれば誰かが袖を引くのが普通だからです。
 
 思うに多少乱暴な扱いはあったにしても、虐待という意識は誰も持っておらず、「16の大罪」も“よくありがちな普通のこと”として見過ごされていたのではないでしょうか。
 39歳の保育士は別のところで「バインダーで頭を押さえたのは事実」「叩いたと言えばそんなふうに見えたかもしれない」と言っています。「押さえた」というのは弁解めいた言い方で、コツンと叩くくらいのことはしたのでしょう。しかし大泣きされると面倒ですからやったとしても痛くない程度だったに違いありません。本気で殴れば周囲の保育士も慌てて止めますし、大声で泣かれれば園長も何ごとかと駆けつけるに違いないからです。
 それが私の一番納得できる風景です。
 しかしそこに別の要素が加わります。ひとつの清廉で正義感に溢れた正義の目が、状況を見ていたのです。

【”正義の人”は見ていた】

 その人は子どもが痛い思いをしたり怒鳴られたり、あるいは辱められることにまったく耐性がありません。子どもの体や心の痛みを我がことのように感じ取ることができ、怒りで全身を震わせることのできる“正義の人”です。
 
 ロッカーに入って泣いている子がいたら何を置いてもすぐに駆け付けて、優しく抱きしめ慰めなくてはなりません。写真撮影などしている暇はないのです。いたずらをした子どもでも、「コラ」と叱って頭を軽くコツンなどといったこともまるで考えられません。危険回避のためであっても、カッターナイフの刃などといった恐ろしいものを見せることには我慢がならないのでしょう。子どもにとって危険なものは大人が排除すべきであって、子どもがみずからの判断で回避すべきものではないのです。
 
 その人の目に裾野市の私立さくら保育園1歳児クラスは明らかに異常な世界でした。とりあえず勇気を振り絞って注意するということもあったかもしれませんが、自分一人ではどうにもならないと知ると主任保育士や園長に相談します。主任や園長はクラスの様子を見に行きますが、そこにあるのはありふれた保育風景ですから指導もしません。“正義の人”は仕方なく市に訴え、担当部局もいちおう調べはするのですが重大事案とは考えず市長にも報告しない、具体的な手立ても打たない。“正義の人”はおそらく警察にも通報します。そしてどこにも動きが見られないとなると、最後はマスコミに頼るしかなくなったのです。
 
 11月29日の静岡新聞に第一報が載ると翌日には警察が着手するという異常な速さは、その日まで警察が何もしてこなかったという背景があってのことでしょう。警察が動いたのですからそれがお墨付きとなって、他のマスコミも一斉に動き出します。そして全国ニュースになる――そんな動きがあったと思うのです。あとは各社が「あること」に「ないこと」を多少まぶして、繰り返し報道することになります。

【かくて正義は実現した】

 私の想定する“正義の人”は最初のころこそ孤独でしたが、報道されてからはむしろ多数派になります。全国には“正義の人”はいくらでもいるからです。
 まず事実を知った裾野市の村田悠市長が激怒。園長を犯人隠避で警察に告発する意思を示し、保護者の一部も園で行われていたことに衝撃を受けて抗議の姿勢に変わります。マスコミが動き出すと全国から非難の声が集まり、もともと“正義の人”だらけのネットでは容疑者三人の個人情報の炙り出しが始まる――。
 そして私は考え込むのです。例えば、
「寝かしつけた園児に『ご臨終です』と発言」
したことで、いったい誰が傷ついたのかといったことをです。

(この稿、続く)