「徂徠訓」

「デイ・バイ・デイ」も今日で860号(*注:現在の学校に赴任してからの通算)。毎日こんなふうに書くようになってから9年目ですので、総計で1900回余りになります。(ブログ上は7年半1678回)  その間、三つの学校を渡り歩きましたが、歳時などで同じ内容を扱うことはあっても、全文をコピペということは一度もなく、今日まで来ていています。同じことを書かないよう努力してきましたが、特にこの一年は話題に事欠き、苦労することが多かったように思います。  理由は三つあります。  ひとつは加齢による能力の衰え――日常の中から何かを紡ぎだすということが下手になっています。  ふたつ目は不勉強。特にこの一年はろくな読書をしていません。ネットで文章を読むことが多くなっています。  しかし何と言っても三つ目、同じ学校に4年もいると引き出しの中は空っぽになりつつあるということです。持っているものはもうほとんど出し尽くしてしまい、もう出すものがありません――と思っていたのですが、実は意外なところに穴がありました。当然しゃべっているはずだと思っていたことの中に、まだ話していない大事なことがあったのです。そのひとつが「徂徠訓」です。調べたら6年前に扱っただけで、この学校に来てからは一度も紹介してありません。先輩から教わった中で、もっとも大切なことのひとつだというのに。 「徂徠訓」は江戸中期の儒学者荻生徂徠が書き残した、人の上に立つ者の心得といった内容の一文です。それは学級経営をする上で、いつも心の隅に置いておいたものです。 「徂徠訓」 一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて長所のあらわるものなり   (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所は現れるものである) 二、人は長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず   (人は長所のみをとればよい。短所を知る必要はない) 三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ   (自分の好みに合う者だけを用いてはいけない) 四、少過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり   (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を丁寧にしてくれればよいのだ) 五、用いる上は、その事を十分に委むべし   (人を用いる上は、仕事を十分に相手に委せよ) 六、上にある者、下の者と才知を争うべからず   (上にある者は、下の者に才智をひけらかしてはならない。ましてや勝とうとしてはならない) 七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず   (人材は必ず一癖あるものである。逸材であるがゆえにそうなのだから、癖を捨ててはいけない) 八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり   (このようにして丁寧に用いれば、その仕事に適し時代にふさわしい人物は必ず現れるものである)  私は特に一番と五番、七番が好きです。  子どもの長所を探そうとしてのダメなのです。良く教えて、動かす中からそれは見えてきます(一番)。  そして十分に教え、練習させ、あとは腹をくくって任せるしかない。責任は教師が取ればいい(五番)。  逸材というのはひと癖もふた癖もある。それを嫌ってその人の偏りを直そうとしてはいけません(七番)。    うまくいかない場合も多かったのですが、それでも常に心に納めていた言葉です。