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「徂徠訓:上に立つ者、ひとを導こうとする者の心得」~今日は徂徠の誕生日です

今日は荻生徂徠の誕生日。
何をした人なのかよく分からないが、
言った言葉の重みは分かる。
偉人の言葉は、今も深い。
という話。(写真:フォトAC)

【歴史を学ぶ意味くらいは学んでおこう】

 大学入試の社会科は日本史で受けました。中学校の教員としては社会科を教えました。したがって普通の人よりは日本史に詳しくなくてなりません。ところが知識のあちこちに、大学入試のころから一歩も深まっていない部分が山ほどあるのです。

 もちろん社会科教師の端くれですから、深まったところも少なくない。
 例えば江戸時代の文化史に出てくる本居宣長(もとおり のりなが)。この人のことなら多少わかります。江戸幕府の御用学問が朱子学で市井に陽明学が流行る時代に、彼は「日本人には日本人の生き方がある」と言い出したのです。だから源氏物語を調べ、日本書紀を研究し、古事記に没頭して「国学」を打ち立てたのです。
 宣長の思想はさまざまに形を変えて明治維新の原動力となり、太平洋戦争まで続く長い戦争の推進力となりました。そこで江戸時代の人、江戸時代の学問であるにもかかわらず、現代の高校生もその人の名前や業績を覚えておかなくてはならないのです。

 同様に、現代の秩序の元となり、いまも日本人の心の一部を形づくっている朱子学陽明学についても、「そういう名前の学問があった」「日本史上重要な役割を担っている(らしい)」と頭の隅に置いておけば、将来、何かの役に立つ可能性があります。いつか必要になるかもしれない、だから高校で勉強するのです。
 ちなみに、「お父さんの言うことは聞きなさい!」「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい!」は朱子学。「言ったことはやりなさい」は陽明学です。大塩平八郎が勝ち目のない反乱を起こさなくてはならなかったのも、彼が陽明学者だったからで、もしかしたら朱子学者ならやらなかったのかもしれません。

荻生徂徠(おぎゅう そらい)】

 さて、今日2月16日は荻生徂徠の誕生日だそうです(寛文6年)。西暦だと1666年3月21日。厳冬期と水ぬるむころですから雰囲気はずいぶん違いますが、江戸時代以前の期日ついては西暦に直さないのが通例ですので、このままにしておきます。

 この荻生徂徠という人、高校の教科書にはたぶん「江戸中期の思想家、文献学者。朱子学を批判し、古代の言語や制度・文物の研究を重視する古文字学派(こもんじがくは)を打ち立てた。著書に『政談』がある」とかいったふうに紹介されていると思います。私もそう覚えました。そして今日まで、徂徠に関する私の知識理解はそこから一歩も深まっていないのです。相変わらず何をした人なのか分からない、現代を生きる私たちにどういう影響を与えた人なのか、まったく分かっていないのです(ナンカ、大事な人らしい)。
 
 ただ、結婚したてのころ、夫婦で愛読していた「ビックコミック・オリジナル」に掲載されていたジョージ秋山氏の「浮浪雲(はぐれぐも)」中で、荻生徂徠の諭した「徂徠訓」というのが扱われていて、教師としてそろそろ本腰を入れようという時期にピッタリなのでしばらく大事にしていたことがあるのです。
 このブログでも3回ほど扱っていますが、最後に載せたのが2014年。もう10年も昔のことですので、今あらためて掲載しても記事の手抜きと言われないでしょう。言われてもいいので再掲します。それだけ価値のあるものだからです。
 
 教師として、管理職として、親として、心にとめておかなければならない八か条。いつも目の届くところに置いておくといいかもしれません。

【徂徠訓】

一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて長所のあらわるものなり
  (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所は現れるものである)
二、人は長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず
  (人は長所のみをとればよい。短所を知る必要はない)
三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ
  (自分の好みに合う者だけを用いてはいけない)
四、少過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり
  (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を丁寧にしてくれればよいのだ)
五、用いる上は、その事を十分に委むべし
  (人を用いる上は、仕事を十分に相手に委せよ)
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず
  (上にある者は、下の者に才智をひけらかしてはならない。ましてや勝とうとしてはならない)
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず
  (人材は必ず一癖あるものである。逸材であるがゆえにそうなのだから、癖を捨ててはいけない)
八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり
  (このようにして丁寧に用いれば、その仕事に適し時代にふさわしい人物は必ず現れるものである)