カイト・カフェ

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「棄教」〜賢い教育消費者の話⑤

 ネパールの被災地における避難民の態度が評判になっています。
『略奪・暴動みられず 日本と同じ「助け合いの精神」』 産経新聞5月5日)

  • 食糧事情の悪化が懸念されているが、目立った暴動は起きていない。無人の商店街では略奪も見られず、テント暮らしの被災者は比較的穏やかに過ごす。
  • 配給のたびに1千人以上の列ができるが、整然と一列に並び、割り込む人もいなければ、支援物資を奪い合うこともない。
  • 持てる者が持てない者に与える助け合いの精神があり、物を奪ったりした人は強く非難され、その社会で生きていけなくなる。輪廻転生の宗教的精神もあり、起こったことに対し悔やむのではなく、あっさりと納得するという気質がある
  • 被災されたネパール人は、日本人の被災者と同じように結構、表情が明るくて気持ちのよい対応をされる。こちらが逆に元気を分けてもらっている

 2011年の3月11日以降東日本でしばしば観察され世界に発信されたのと同じ風景です。私は4年前の震災以降「こんなことができるのは日本人だけだ」と言い続けてきましたが失礼しました。世界にはそんな国はいくらでもあるのです。しかしそうした国々は慎ましく目立たないため、こうした大災害でもないと情報として私たちの元に入ってこないのです。
 いまでも世界中の多くの人々がこうした互助的で協同的な社会で互いを守り合いながら慎ましく暮らしています。それは確かでしょう。しかしネパールは人口2650万人を誇るとはいえ、産業としては観光業と自給自足的な農業や小規模な繊維工業だけで成り立っている国です。日本のように凄まじい資本主義・大量消費社会となってもなお、そうした道徳性を保持できるかは疑問です。金のために道徳性を失った民族や社会はいくらでもあります。

 日本は世界トップクラスの資本主義社会を完成しながらなお高い道徳性を保持し続けた国です。そうした伝統を強力に支え続けたのは学校教育で、少なくとも組織的・計画的に行ったのは学校をおいて他にない、特別活動はその中でも道徳教育の根幹で、諸外国の研究者によって強力に支持されているにもかかわらず日本国内では極めて低い評価しか受けていない――それは私が繰り返し主張してきたことです。いわば日本教の総本山が学校なのです。
 しかし今、その総本山が内部から切り崩されようとしています。政府の手によって「棄教」が強制されようとしているのです。
 確かに道徳教育強化は訴えられていますが、日本人の極めて高い民族性を守ろうとする道徳は軽視され、国家を守る道徳が強調されます。成果主義や数量化、学校マネジメントをはじめとするさまざまなアメリカ的技法を取り入れることによるアメリカン・グローバリズムへの傾斜、そうしたものが日本をネパールから遠ざけようとしているのです。

(この稿、続く)