「デカルト先生とクリスティーナ」〜学校の失ったもの③

 一泊二日の職員旅行というのも少なくなりました。今はほとんどが日帰り、それすらなくなってしまった学校もあります。残っていても参加者が極端に少ない、そういう場合も少なくありません。ところがかつての職員旅行は心理的に半強制だったので、まずは全員参加でした。初任の学校は大校でしたので大型バスを仕立てていきました。二番目の学校も中規模校ながらバスでした。

 一泊の職員旅行の良さは何といっても学校から完全に自由になれることです。携帯電話などない時代ですから一度出てしまえば呼び戻される心配がない、先回りして旅館に電話が入っているとしたら、学校が火事で焼け落ちたとか子どもが交通事故にあって大けがをしたといった超ド級の事件だけですからめったにあるはずもありません。仮に大きな事件があったとしても帰るのは校長先生だけだと誰もが思っていました。
 したがってバスに乗ると同時に「乾杯!」。あとはひたすら飲みながら続ける旅です。華厳の滝だとか袋田の滝だとかはすべてこの職員旅行で知ったものです。

 職員旅行には必ず誰かが「連歌帖」というものを持ってきています。新しい小型のノート一冊なのですが、それに二日間、延々と連歌を連ねるのです。私はわりと得意な方でSuperT雲国斎という雅号(のちにクレヨンしんちゃんに盗まれる)を使っていました。やがて直弟子を持つようになり、それぞれ雲竹斎、雲直斎、そしてついに雲汁句斎までつけてしまい、その生々しさに負けて4人目の弟子は持つことをしませんでした。

 職員旅行の連歌帖は年度末に整理され、職員文集の目玉となります。

 職員文集というのもかつては盛んにつくられたものです。これも半強制の全員参加で、年度末に原稿を集め、一冊の本にするのです。私は文を書くのが好きでしたから半年も前から楽しみにして構想を練ったりしていました。先生たちの文章はどれも個性的で、やはりと思わせる面、意外な側面、あれこれ見えてとても面白いものでした。中にはその後長く道徳の教材として使った文もあります。

 ところがそれが平成の1ケタのころから各校続々と廃刊になっていったのです。理由は多忙。
「このクソ忙しい年度末に職員文集などつくっている意味が分からん」ということです。
 もちろん価値が全くないと思っているわけではありません。しかしそれは年度末の多忙さを見合うだけの大きなものなのかという異議申し立てなのです。

 しかし今さらそんな本質的なことを問われても困るのです。続けたい側の思いといっても “だって楽しいんだモン”といった程度で、学校教育の中心的課題とは何の関係もなかったからです。そしてほどなく、各校の職員文集は最終号を出すこともなく終わって行きました。

 それから10年ほどして、ある学校に赴任して職員図書の棚を見たら、そこに並んだ古い職員文集は、何と紐でしっかり結わえた和綴じでした。平成時代まで面々と和綴じにこだわった職員文集、そんな素晴らしい伝統までも捨てられてしまったかと思うと、なんだかとても陰惨な感じでした。

(この稿、続く)