連歌しける教師

 今日、7月6日は何記念日かご存知ですか?

 サラダ記念日です。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

名歌です。

 俵万智の歌集「サラダ記念日」が発売されたのは1987年、もう四半世紀も前のことですが、現在の位置づけはどうなのでしょう。古典になっているのでしょうか、それとも忘れ去られてしまったのか。

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

 こちらも好きでした。

 昭和も20年代までは大学進学率も10%以下でしたので、教員も本物のエリートでした。私が教師になった50年代にはすっかりエリートの座を滑り落ちていましたが、それでもエリート時代の名残は残っていました。

 それは例えば職員文集だとか、職員研修の読み合わせだとかいったものです。文集も質の高いものでしたが、読み合わせは本当に厄介で、とても常人では手の届かない作品を扱っていたりしました(西田幾太郎「善の研究」とかですよ!)。そしてその名残のひとつは、職員旅行につきものの連歌です。

 当時はまだ「職員旅行には当然行くもの」という不文律(ないしは思い込み)があったので全員参加が基本でした。そのために借り上げバスで行くのが当たり前で、移動の時間がめちゃくちゃ長いのが普通でした。その間に「連歌帳」が回ってくるのです。不思議なことに係ではなく、誰かが自主的に真新しいノートに「連歌帳」と記して持ってきました。誰も相談しないのに、確実に存在しました。

 後は日長一日、交代で書き続けるわけですが、一方に「職員旅行中は朝から飲み続ける」という不文律もありましたので風雅な連歌とはならず、延々と続く酔っ払いの狂歌でした。

 私は連歌はともかく、号を考えるのがうまかったの号だけをもらいに来る弟子がたくさんできました。私自身はSuperT雲国斎、弟子は順番に“雲竹斎”、“雲直斎”など。けっこう人気がありました。

 ずいぶん後になって劇場映画に「クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望」(1995年)がかかり、そうとうに苛立ったことがあります。誰かが私のオリジナルを売りつけたに違いありません(もちろん冗談)。

 それにしても精一杯背伸びをしてエリート時代の名残を踏襲していた時代、それはそれでひとつのエポックでした。

*今日の表題「連歌しける教師」は徒然草第89段「奥山に、猫またといふものありて」の一節にある「連歌しける法師」のダジャレです。高校の教科書に必ずありましたが覚えています? 例の「助けよや、猫また、よやよや」です。懐かしいですね。