「デカルト先生とクリスティーナ」〜学校の失ったもの④

 同じ時代になくなったもののひとつに「読み合わせ」というものもありました。
 これは月一回、職員全員で一冊の本を読み合わせるという研修です。当時は職員会の議題も今ほど過剰ではなかったので、月一回の読み合わせは確実にとれたのです。当番の学年が決まっていて、簡単なレジュメをつくって解説し、あとで全員で感想を言い合うといったものです。

 けれどもしかしたらこの「読み合わせ」は、教員が真のトップ・エリートだった大正時代にでも始まったものなのかもしれません―扱うテキストがあまりにも難しかった。西田幾太郎の「善の研究」やら道元の「典座教訓(てんぞきょうくん)」やらと、およそ素人の手を出すような本ではなかったのです(「典座教訓」なんて寺院の炊事係の心得なのですよ。そこから何か哲学的啓示を受けなければならないのです。できます?)。ただでも分からないものを、一年もかけるのでさらに分からなくなる。
 ただし教育者たる者は常にこのレベルの学識の近くにいなければならない、というメッセージは常に感じざるを得ませんでした。「善の研究」や「典座教訓」は分からなくても、その下のレベルくらいにはいつもいなければならない、そういったアカデミズムがそこにはあったのです。

 その他、PTA研修旅行や校内同好会(私は演劇同好会のキャップで、市民劇場に参加して二か月に一回は芝居を見ていました)、職員運動を経ての近隣の学校とのスポーツ大会、そういったものもなくなってしまいました。忘年会の出し物に毎年「寛一・お宮」だの「番場の忠太郎」だのの芝居を仕上げてくる学年もありました(そのため12月は毎日学年会です)。平成の初期に「寛一・お宮」に血道を上げていた教員がいたなんて、誰も信じないでしょう。

 私は、昔はよかったなどというつもりはありません。一泊二日の職員旅行や職員文集、読み合わせを復活しようという気持ちもありません。無理ですから。それらがなくなったことには理由があり、その理由がなくならない限り復活などできるはずもありません。
 ただし、人間のすることは有機的な繋がりがあって、あちらをいじってあちらだけで済むということはないのです。多忙のためにそれらが消え、おかげで少し楽になった、それだけでは終わらなかったのです。

 職員旅行や職員文集、読み合わせや同好会、職員運動などによって培ったねちっこい人間関係はそのまま互助の関係でありセーフティー・ネットでした。
 私たちは同僚の互いの状況に敏感でした。30人、40人と大勢の職員がいる中でも、誰がどこで支えられているか熟知していました。そして困難に会うと、何十本もの援助の手が伸びてきたのです。その意味で、教師集団は一つの村でした。

 繰り返しますが、だから昔はよかったとか旧に復せとかは絶対に言いません。
 しかし最近の不祥事や教員の精神疾患増加に対して、政府やマスメディアがしたり顔で「近頃の教師には互いに支え合おうとする気風がなくなった」とか「教員の質が低下した」とかいった言い方をするのは我慢がならないのです。そう仕向けたのは他ならぬ政府やマスコミだからです。

 昔の学校は今よりもずっと互助的でアカデミックな場でした。それは(少なくとも今よりは)暇だったからです。濃い人間関係も学問も、ありあまる時間の中でしかできないのです。
 クリスティーナ女王の多忙がデカルト先生を死に追いやったように、教員同士の濃い関係もアカデミズムも、結局は殺されてしまったのです。