カイト・カフェ

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「安倍晴明も荻野千尋も、本名は明かさない」~自分の名前を隠しなさい② 

 陰陽師安倍晴明羅生門の鬼から、
 「千と千尋の神隠し」の荻野千尋は湯婆婆から、
 それぞれ身を守ることができた。
 その秘策は、本名を隠すことだったのだ。

という話。

f:id:kite-cafe:20220209120658j:plain(写真:フォトAC)

 ちょっと厄介な問題にかかわっていて「心ここにあらず」の状態。ものが考えられないので、10年近く以前に中学生の子どもたちに話した内容を転載します。

安倍晴明の知恵――男性はこうして名を守る】

 この人、ご存知ですか? そうです陰陽師安倍清明です。 岡野玲子さんの『陰陽師』の第一巻に、次のような話があるそうです。
 京都の羅生門に巣くう鬼から琵琶の名器を取り返しに行った安倍晴明源博雅(ひろまさ)は、鬼に名前をたずねられます。博雅はそれに応じて素直に「私は源博雅だ」と名乗りますが、晴明は「正成(まさしげ)」という偽名で答えます。翌日、今度は本格的に羅生門の鬼退治に赴いた一行に向かって、鬼は「動くな博雅」「動くな正成」と言います。博雅は呪いにかかってそのまま凝固してしまいますが、晴明は呪いにかからず、するすると近づいて鬼を斬り殺します。
「おぬしは不用意に本名をあかしてホイホイ返事をするから呪にかかるのだよ、博雅」
清明は笑うのです。

 
 お分かりでしょ。名前を取られると丸ごと盗まれるということです。平安時代の女性は人に本名を明かしませんでした。そして結婚式の翌日、夫となる人に本名を告げるのです。それはすなわち「私を丸ごと取ってくださってかまいません。私を差し上げます」という意味なのです。

 男性の方は政治の仕事があって、しょっちゅう人と会わなければなりませんから“名乗らない”ということができません。ですから名前を盗られないために別の方法を用います。それは、一つには名前を繰り返し変えるということです。「今日からお前は平清盛を名乗れ」といった風です。
 そしてもう一つは、相手を常に役職―今でいえば課長とか部長とか言ったものです―で呼び合うことです。
 井伊掃部守(かもんのかみ)だとか大岡越前守(えちぜんのかみ)とかいった言い方です。そんな方法で男女とも名を秘匿したのです。
 
 この「名前を盗られると終わりだ」という考え方は現在も一部に残っています。「千と千尋の神隠し」です。

【荻野千尋のとっさの判断】

 この映画の中で自由な登場人物はほとんどいません。「油屋」の使用人は全部湯婆婆の手下です。千尋のお父さんとお母さんはあっという間に豚にされて、もう自分が誰かもわかっていません。ハクですら湯婆婆に逆らうことはできないのです。しかし千尋は最初から最後まで千尋であって「千」という名前をつけられた後でも自分を見失っていいません。最後まで自分が千尋であることを忘れていませんし、人柄も(映画の中で次第に成長していくということを別にすれば)まったく変わっていません。なぜ千尋は湯婆婆に取り込まれなかったのでしょう。
 実は、それは最初の方の場面にヒントがあるのです。その部分を見てみますしょう。(実際にDVD「千と千尋の神隠し」の契約の場面を見せる) 何があったかわかりますか。

 もう一度丁寧に見てみます。
 千尋はハクに知恵をつけられて湯婆婆のところに直談判に行きます。油屋で働きたいと言うためです。なぜそう言わなければならないかというと、湯婆婆の世界では仕事を持たない者はすべて動物にされてしまうからです。湯婆婆は「働きたい者には必ず仕事を与える」という誓いを立てているので、直接会って仕事をもらうしかなかったのです。
 しかし仕事をもらっても動物にならないだけで、湯婆婆はその人間を丸ごと自分のところに取り込みます。どうやって取り込むかというと、名前を奪って別の名前を与えるというやり方です。画面のこの部分はまさに湯婆婆が千尋の名前を握りつぶす場面です。

 ところがそれでも千尋は奪われなかった、それはなぜか。
 実はこの契約書に秘密があります。
 この契約書の署名、ピンボケになりますが拡大してみてみましょう。千尋の本名は荻野千尋です。漢字で書くとこうなります。見比べてごらんなさい。ホラ、千尋は本名を書いていないのです。

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 荻野の“荻”はクサカンムリにケモノヘン、そして“火”です。ところが千尋は“火”と書くべきところにわざわざ“犬”と入れているのです。こんな漢字は漢和辞典を見てもありません。
 湯婆婆はそれとは知らず、偽の名前を握りつぶしたのです。安倍清明が偽名を使ったのと同じです。こうして千尋は最後まで千尋でいることをやめずに済んだのです。
 
(この稿、続く)