ネット社会における学校問題�@

 「デイ・バイ・デイ」はほとんど前日の夜に書いています。ですから朝起きて新聞に目を通したりしたとき「ああ、こっちの方がいい筋だったなあ」とほぞを噛むことも少なくありません。昨日もそうでした。10日夜から11日にかけて、例の大津の自殺事件に様々な進展があったからです。

 

 その第一は、市教委の新たな発表です。実は11月に追加のアンケートをしており、そこで「葬式ごっこ」といったおどろおどろしい話が出ていたこと、そして市教委はそれ以上の調査はせず、両親にも追加のアンケートについては何も話していなかったことなどです。

 第二は、警察が25人態勢の専従捜査班を設置して、本格的な捜査に乗り出すことにしたこと。この事件では、警察は三回に渡って被害届を受理しなかったと非難されていました。

 三番目は、越市長がいじめと自殺の因果関係を認め、裁判でも認められるよう積極的に協力する方針を示したことです。事実が確認される前に因果関係を認めたことも、被告である市長が原告の側に立つというのも極めて異例です。しかしこれで、真実が明らかになる方向がさらに見えてきました。

 昨日は「大津の裁判でも両親が勝つ可能性は極めて低いと思われる」と書きましたが、一晩で形勢は変わりました。捜査権を持つ警察が本気で取り組めば、大量の“事実”が採取されます。さらに被告である大津市長が協力するというのですから勝負は決まったようなものです。おそらく民事の裁判は行われず、十分な再調査が行われた上で和解に進むことでしょう。

 最初からそうしておけばよかったのです。そうすれば遺族の気持ちも振り回されず、加害の少年やその家族がネット上に晒されることもなかったかもしれません。また、それが良いかどうかは別として、警察が入らなければ“加害”の子たちが刑法上の罰を受けなかった可能性もあります。もちろんそれが良いかどうかは別の話ですが。

 今回の事件に関して何が社会を怒らせているのかというと、その第一は市教委の隠蔽体質(と社会が感じているもの)です。加害者の所業(と信じられているもの)は二の次です。

 とにかく情報が小出しに次々と出てくる。したがってまだ隠しているものがあるのではないか、市教委は事実を小さく小さく見せようとしているのではないかという疑心暗鬼が底流にずっと流れています。これでは解決するものも解決しません。

 それは戦争における兵員の逐次投入に似て、結果的に大きな損害を被りかねません。いずれ出すものなら最初から出しておけばいいのです。これだけメディアの発達した社会で、特定の情報を隠そうとしたら膨大なエネルギーと資金が必要です。それがない以上は、最初から出すしか方法はないのです。

 いじめが絡むかもしれない子どもの自殺。それはあってはならないことですし、実際にはほとんどの教師がそうした場面に出会うことなく教職を終えています。しかし万が一そうした場面に出くわしたとき―それを考えておくのも危機管理上有益なことかもしれません。

                                             (この稿、続く)