「仙台 中学生自殺事件」�@

       〜あまりにも残酷な風景 「超売り手市場の狭間で」というタイトルでもう一回書く予定でしたが、緊急のことがあって先に延ばします。  緊急のことというのは「仙台 中学生自殺事件」あるいは「仙台 中学生 体罰いじめ 自殺事件」と呼ばれるニュースで新たな進展があったからです。 【事件の経緯(始まり)】  私がこの事件に注目したのは、第一報のちぐはぐさのためでした。  仙台市は29日、市立中学2年の男子生徒(13)が自宅近くのマンションから飛び降り自殺したと発表した。遺書は見つかっていない。(中略)学校が昨年6月と11月に実施したいじめに関するアンケートに対し、死亡した生徒は「悪口を言われたり、物を投げられたりした」「冷やかしや無視をされた」と回答していた。学校側はいじめとは捉えておらず、「関係する生徒から事情を聴いて指導し、問題は解消された」と説明している。2017/04/29時事通信)  普通この段階ではもっと慎重に対応するもので、一方に本人の訴えがある以上説明は「現在慎重に調査している」で十分なはずです。それを間髪を置かず「いじめとは捉えておらず」「問題は解消された」と言い切れるのはなぜだろう、そういう違和感です。  案の定5月1日の夜に開かれた保護者説明会では、  男子生徒の机に昨年12月下旬、「死ね」との文字が書かれていた事実を明らかにした。校長は説明会後の記者会見で「いじめがあったと認識している」と初めて認めた。市教委も会見で今回の自殺を「(いじめ防止対策推進法が定める)重大事態と同等」との見解を示した。 ということになります(05/02 河北新報)。  このあとしばらく全国紙ではニュースが途絶えます。  他に事件はいくらでもありましたし、ゴールデンウィークを挟んで実施した学校のアンケートの集計やその後の調査の結果を待っていたという事情もありました。  ところが5月18日になって保護者からとんでもない情報が寄せられ、「仙台 中学生自殺事件」はトップニュースに近い扱いで全国に広められます。 「仙台の中2自殺、教諭2人が体罰 粘着テープで口塞ぐ」05/19 朝日新聞デジタル)  それによると、  市教委によると、男子生徒が自殺した前日の4月25日、授業の終わりごろに寝ていた生徒の頭を教師がげんこつでたたいた。1月には授業中に生徒が騒いだとして、別の教諭が粘着テープで口を塞いだという。教諭2人は市教委に対し、事実関係を認めている。  さらにその後、  奥山恵美子市長も「教員の体罰が(自殺の)引き金になった可能性が高くなっている」との見方を示した。05/20 産経新聞) となり、事件は一気に「いじめによる自殺」から「体罰による自殺」へと軸足を移していったのです。 【不可解な体罰  ただしこの時点で私はさらに首を傾げていました。  学校でいじめられて自殺する子と授業中に騒いだり寝たりして教師から罰を受ける子という、二つのイメージが重なってこないのです。教師を愚弄するようなふてぶてしい子が果たしていじめられたくらいで自殺するものだろうか――。  もうひとつ。  授業中に居眠りをしていた生徒に教師がゲンコツを食らわすという図は想像できますが、騒いだ子の口にガムテープを貼るという図はどう思い描いても浮かび上がってこない――。  これが小学校の1〜2年生なら想像もできますが相手は当時中学1年生、しかも周囲にはたくさんの同級生がいたのです。  そんな状況でなぜ教師は罰としてガムテープを思いついたか。その非道を誰一人、親にも校長にも教育委員会にも訴えないとなぜ思えたのか、さらに、当該の生徒はなぜ唯々諾々とガムテープを口に貼られたのか、まさかみんなで羽交い絞めにして張ったのでもあるまい――。  それが可能なのは当該生徒と教師の間に信頼関係があって、半分冗談として行われる(それだって誉められたものではありませんが)場合だけです。そうでなければ普通はその日のうちに問題になる、本人が訴えなくても正義感にあふれた何人もの生徒が、担任、校長、あいは保護者に強く訴えるはずなのです。  それが半年近くも放置された、そのことが理解できなかったのです。  いやそもそも、この時代にあっさりと体罰のハードルを越えてしまう教師が、二人もいたことが理解できない。 【事件の経緯(現在)】  話を戻します。  5月の上旬に行われたアンケートと調査の結果は23日になって遺族に届けられました。しかしそこに書かれた内容は特に目新しいものではなかったようで、遺族は小学校時代の教諭が子どもに行った嫌がらせについて、調査するよう依頼したにとどまったようです(05/25 産経新聞)。  しかし今月に入ってその内容が今度はマスコミに公表されると、メディアは再び沸騰します。遺族にとっては目新しいことではなかったにしても、その凄惨な内容は私たちを驚嘆させるに十分なものだったからです。  この生徒が机に『死ね』と書かれたり、ほおを叩かれたりするなどのいじめを受けていたことが明らかになったほか、(中略)この男子生徒が「臭い」「こっちに来るな」などと毎日のように悪口を言われていたことや、「菌扱い」されていたり、消しゴムのかすを髪の毛に乗せられたりするなどのいじめを受けていたことが新たにわかりました。(略)こうしたいじめに対して男子生徒が言い返すこともなく、トイレの前で1人で座っていた姿を目撃したという生徒もいました。また、自殺した当日、男子生徒が「朝は顔色が悪くてフラフラしていた」ことも報告されました。06/06 NHK)  マスメディアは常に弱者の側から事態を見るよう運命づけられています。政府より国民、政治家より一般人、大企業より中小零細、そして学校問題について言えば学校・教職員よりも児童生徒・保護者です。それはもちろん正しい態度であって、特に取材初期の全体像が見えない段階では、とりあえず弱者の側に立って考えなくてはなりません。  しかし私は違います。市井の人間ですし何の影響力もありません。元学校関係者ですから児童生徒・保護者の視点ではなく、学校・教職員あるいは教育委員会の視点から見る目はあってもいいし、また場合によってはなくてはならないと思い、常に学校側から学校に引き寄せる立場でものを考えるようにしてきました。  しかしその私にしてもこれは救いきれない話です。  毎日悪口を言われて菌扱い、頭に消しゴムのかすを乗せられても抵抗できない、しかも孤立無援でトイレの前で1人座っていても誰も声をかけてくれないのです。もしかしたら前日の授業中に眠っているように見えたのも、顔色が悪くてフラフラしていたという自殺当日の様子の前兆で、それなのに教師はゲンコツを落とした――そうなると完全に退路を断たれたような気持ちになるのもやむをえないのかもしれません。  しかしそれにしても――、と私は再び思い直します。  同級生も教職員も全員が背を向けて一人の生徒に冷たく当たる、そんな残酷な世界がこの日本の中にほんとうにあったのでしょうか。もう一度考えてみましょう。                               (この稿、続く)