カイト・カフェ

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「金売吉次の話」~明日は牛若丸と弁慶の出会った日

 明後日、6月17日は京都の五条大橋で牛若丸と弁慶の出会った日だそうです(1180年)。牛若丸は超有名人ですが、実在さえ疑わしいとされる武蔵坊弁慶との邂逅の日がなぜこうも正確に分かっているかのというと、たぶん、何かの本に書いてあるからなのでしょう。講談か何かの一節にあるのかもしれません。

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  牛若丸は弁慶と出会ったあと、自ら元服して奥州に下ります。当時の日本は大雑把に言って、広島を中心とした西三分の一が平氏の勢力範囲、中央の三分の一が「一応平氏の言うことを聞いているがいつでも裏切って不思議のない人々」の土地、東三分の一が奥州藤原氏の土地といった感じで、義経は危険地帯を抜けだし平氏の影響がほとんど及ばない奥州を目指したことになります。

 このとき、平泉までの道のりを案内したのが金売吉次(かねうりきちじ)という男です。吉次はその後も義経を資金面でバックアップし、平氏追討の最後まで付き添ったことになっています。

 この金売吉次義経を扱った映画やドラマには必ず出てくるのに実在を示す資料はほとんどありません。それにもかかわらず存在感があるのは、こうした商人が暗躍しそうな事情が山ほどあるからです。

 吉次が商っていたのは奥州の金です。世界遺産中尊寺金色堂で分かるように、当時の奥州は世界的な金の産地でした。今でこそ金色堂しか残っていませんが、当時の平泉は金銀螺鈿の建物で満ちていました(それが「東方見聞録」の黄金の国伝説になった(?))。その金は吉次のような商人の手によって兵庫まで運ばれ、そこから海を渡って宋の国に輸出されたのです。代わりに「宋銭」が輸入されました。

 金を輸出して貨幣を購入したというのが日宋貿易の核心なのですが、貨幣を大量に持ち出された宋(南宋)は激しい物価高騰に襲われ、それが国の崩壊を早めたといいます(のちにこの“滅びた南宋”の兵が、モンゴル軍の手先となって日本に襲いかかります=元寇)。それくらい大量の金が宋に輸出されたのです。

 吉次たちはこの金輸出によって大いに儲けるのですが、一つ問題がありました。それは輸出に際して巨額の関税を取る平氏の存在です。それが吉次たちを源氏支援に走らせます。

 ドラマを見ていると、吉次が義経の意気に感じて支援を約束するように描かれていますが、そんなロマンチックなものではありません。現在の企業が民主党自民党の間で支援のさじ加減を常に考えているように、平安末期の商人たちもいろいろと暗躍していたのです。

 NHK大河ドラマ平清盛」は保元の乱が終わっていよいよ平治の乱、そして1180年6月17日になります。私はかなり面白く見ているのですが「平清盛」、なぜあんなに人気がないのでしょう。

 ところで卓球部のみなさん、明日明後日は牛若丸のように、難敵をひらりひらりとかわしてくれるよう、心から祈っています。