カイト・カフェ

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「昭和のスターの訃報を聞く」〜表の昭和、裏の昭和

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「洋風建築の天井」(photoAC)

【訃報を聞く】

 西城英樹、星由里子、朝丘雪路。先週相次いで昭和の大スターの死が公表されました。
 この中で直接会ったことのあるのは朝丘雪路さんだけです。

 まだ私が大学生だったころ、おそらく日本テレビだと思うのですが放送局へ遊びに行こうということになって仲間4人と出かけたのですが、建物に入るなり迷子になってしまい、廊下をあちこち歩き回っているうちに歌謡番組収録中のスタジオに入ってしまうということがありました(当時はそんなこともありえたのです)。
 初めは壁に添って眺めていたのですが、そのうち仲間のひとりが「もっと上から見てみよう」と言い出して天井照明に向かう鉄製階段を上り始め、そこで局の人に捕獲されて摘まみ出されました。そのときスタジオに入ってきた朝丘雪路さんに会ったのです。和田アキ子さんと一緒で、その前夜だったか当日だったか、東京で起こった地震について話していました。

 朝丘さんはほんとうに小柄でびっくりしました。顔もとんでもなく小さく、私の指でも横向きに掴めるのではないかと思ったほどです。
 今調べてみると身長158㎝ですから驚くほど小柄なわけではないのですが、何しろ顔が小さく痩せているので、それまでテレビの画面ではスラっとした長身に見えていたのかもしれません。もっとも隣にいたのが和田アキ子さんですからそのせいもあるでしょう。
 今となれば懐かしい思い出です。

 西城英樹という人に対してはあまり思い出がありません。私が男性で、当時は女性アイドルの方ばかりを見ていたせいもあります。ただし日本中が「ワ~イ、エム、シ、エー」とやっていたのにはずっと違和感がありました。高校時代、自転車旅行の先でYMCA(キリスト教青年会)に泊めてもらおうと思ったことあるからです。
 なぜ日本中で「キリスト教青年会」の宣伝をしなければならないのか。

 放置したままの疑問でしたのでこれも今回調べると、Wikipediaでは、
(この曲をアメリカでヒットさせた)ヴィレッジ・ピープルは、もともとゲイをコンセプトにメンバーが集められた。なお「Y.M.C.A.」(Young Men's Christian Association)とは、キリスト教青年会による若者(主に男性)のための宿泊施設のことを指すが、ユースホステルのようなドミトリー(相部屋)の部屋もあるため「ゲイの巣窟」とされ、「Y.M.C.A.」はゲイを指すスラングでもある。この楽曲も、題材をゲイにおいた「ゲイソング」であり、歌詞の中には様々なキーワードが隠されている。
とあり、ますます訳が分からなくなりました。

【若大将の彼女】

 三人の中では最も地味で、「大スター」と言うには1ランク落ちるかもしれない星由里子さんは、しかし私の世代では格別の女優さんです。何しろ“若大将の彼女”ですからーー。
 
 加山雄三さんの「若大将シリーズ」は水戸黄門もびっくりするワンパターンで、

  1. 若大将こと田沼雄一(加山雄三)と澄子(星由里子)が、何かのきっかけで出会い、恋に落ちる。
  2. そこに青大将こと石山新次郎(田中邦衛)が割って入り、別の女性が若大将に近づいたりするので二人の関係にひびが入る。若大将はスポーツに打ち込んで澄子を忘れようとする。
  3. しかし最後は仲直りして、スポーツの方も若大将の活躍で優勝してハッピーエンド。
     となります。

 若大将が活躍するスポーツは時にボクシングだったりスキーだったり、あるいはヨットレースだったりマラソンだったりと作品ごとに変わるのですが、ヒロインはいつも星由里子さんで役名は「澄子」。しかもシリーズ全17作中11作で“彼女”なので、主演の加山雄三さんのファンですら公認するほどでした。星さんだけは別格なのです。

 ちなみに若大将のライバルを田中邦衛さんがやっていたというと、今の人たちはだいぶ混乱するかもしれません。何しろ現在では渋い名優ですから――。
 しかし当時だって凄かったのです。
 “青大将”は今で言えばアニメ「アンパンマン」のバイキンマンみたいな役どころで、あれほど凡庸な映画の中で、彼だけは特別に光っていましたからやはり栴檀は双葉より芳しかったわけです。

 我らがあこがれの“澄ちゃん”こと星由里子さんは1969年、26歳のときにとんでもない人と結婚します。財界人で買収王しても有名な横井英樹の長男横井邦彦氏です。
 “澄ちゃん”が、あの爽やかな若大将の元を離れ、青大将のさらに上を行く大金持ちと結婚したという事実に、私たちはほんとうに失望したものです。しかも7.8mの巨大ウェディングケーキの派手な結婚式で、しかもそのわずか80日後に離婚したと知ると、「慰謝料ハンパないだろうな」といった憶測とともに、私たちは彼女を記憶の中から抹消することにしました。
 あの純な“澄ちゃん”はもうどこにもいません。
*なお、ウェディングケーキの高さ7.8mは森進一・森昌子夫妻が10mのケーキを持ち出すまで17年間不動の1位を誇り(現在は五木ひろし・和由布子夫妻の11mが1位)、結婚生活80日という芸能界最短記録は2009年に遠野なぎこさんが72日で更新するまで、30年間も破られませんでした(ただし新記録の72日は、同じ遠野なぎこさんによってわずか5年後に更新され、現在の記録は55日です)。

横井英樹、暗黒の歴史】

 ところで星由里子さんを記憶から消し去った数年後、私は意外なところで星さんの元舅・横井英樹の名前に出会います。それは大学での学習の場です。私の専門は昭和史でしたが、戦後の政治経済史の暗黒面に、横井英樹の名は繰り返し出てくるのです。

 この話をし出すと長くなるので省略しますが、横井が絡んだ「白木屋乗っ取り事件」「富士屋ホテル事件」に関与する財界人は名前を挙げると、山種証券の山崎種二、高利貸しの森脇将光強盗慶太の異名をもつ東急電鉄五島慶太、後にロッキード事件で名前のあがる小佐野賢治児玉誉士夫といった面々。まさに目に見える黒歴史です。
 さらに「富士屋ホテル事件」の数年後、横井は新興ヤクザの襲撃を受けて銃弾二発を撃ち込まれますが、襲ったのが映画「やくざと抗争 実録安藤組」で有名な安藤組だったことも、戦後の社会を考える上で興味深い点です。

 安藤組は戦後の混乱期に元特攻隊員を中心として急成長した新興暴力団で、最盛期の構成員は500名。東大以外の六大学出身者はすべて揃っていたと言われるほどのエリート集団です。背広着用を奨励し、指詰めや入れ墨を禁止したという点でも異色な組織でした。
 組長の安藤昇は法政大学中退の元特攻隊員で、事件後、組は解散、安藤も服役しますが、その後、自叙伝「血と掟」を書き、映画化されると自ら主演して俳優への転身を図ります。
 以後前述の「やくざと抗争 実録安藤組」をはじめとする自伝的映画を中心に数十本のヤクザ映画に出演し、Vシネマやテレビドラマでも活躍して2015年、89歳で亡くなりました。
 友人としては梅宮辰夫や村上弘明岩城滉一三田佳子といった俳優仲間だけでなく、歌手の北島三郎などとも仲が良く、映画監督の五社英雄とは義兄弟の契りを結び、野球評論家の関根潤三や元西武ライオンズ根本陸夫監督とは大学の同級生であり飲み仲間だったといいます。
 経歴を見ているだけで頭がクラクラしてきそうです。

(話を元に戻して)
 しかし横井英樹の名が世間にあまねく知られるようになったのは、そうした経済事件や息子の結婚のためでなく、1979年のホテルニュージャパン火災事件によってです。
 客室から出た火は9時間も燃え続けた挙句33人の死者を出してようやく鎮火しましたが、そのとき集まった報道陣に向かって横井社長は、拡声器を使い、
「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」「今回の火事に際しまして、皆様に格別のご同情とご声援を賜りまして、9階の一部と10階の一部で止められましたのは、まことに不幸中の幸いですが・・・」
と語ったことで日本中の非難を浴びました。さらにその後、経費削減のためにスプリンクラーの設置を見送ったり内装も耐火素材にしなかったり、あるいは従業員の数を極端に減らしたりしていたことが判明。横井英樹の名は極悪人として私たち一般人の記憶にも長く留められることになります。
 あの可愛い“澄ちゃん”が既に横井家の人間でなかったことは、私たち「若大将」ファンにとって幸いなことでした。

 横井は業務上過失致死傷罪で禁固三年の実刑判決を受け、出所後、2年余りで亡くなります。火葬された遺骨からは、襲撃事件で撃ち込まれた銃弾が発見されたといいます。
 星さんの訃報は、そういうことも思い出させてくれました。

 星由里子さん、西城秀樹さん、朝丘雪路さん、お三方のご冥福をお祈りします。

(参考)Youtube「JNN NNN ホテルニュージャパン火災 横井英樹 社長」