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「ゴヤ 光と影」~なかなか面白かった

 上野の国立西洋美術館「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」という展覧会を見に行ってきました。ここ数年、わざわざ行くというのではないのですが毎年何らかの事情があって大型の展覧会を見に行く機会に恵まれています。

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 個人の名のついた大型展覧会の良さは、必ずその画家の絵が分かるようになるという点です。「モナリザ」でも「最後の審判」でも「ゲルニカ」でも、その一点を見て善し悪しを判断したり感銘を受けたりするのはなかなかできるものではありません。目の肥えた人の仕事です。その点個人展では画家の変化や成長の様子が見え、作品の意図がどんどん見えてくるのです。

 ゴヤは私の好きな画家ではありませんが、好きではない画家の展覧会こそ見に行くべきです。好きでないのは理解できなかったり感銘できないからなのですから。

 さて、ゴヤは1800年を境に17世紀と18世紀を生きたスペインの画家です。この時代、画家はどのように収入を得ていたかというと、基本的には王や皇帝・貴族の注文に従って部屋に飾る絵画を制作していたのです。大邸宅に飾る絵ですからどうしても大型化しますし、肖像画や宗教画、神話にヒントを得た絵が多くなります。

 また日中は自然光、夜はろうそくの明かりの下で見る絵になりますから、明るすぎる絵はどうしても不調和になりがちです。後に印象派の人々が爆発的に明るい絵を描きたがったのは、そうした“暗い絵”の時代が長かったからです。

 ゴヤはそうした時代にあって、非常に早い段階で画家としての地位を固め、40歳で国王カルロス3世付き画家となり3年後には新王カルロス4世の宮廷画家となっています。その意味ではたいへん恵まれた画家でした。
 ただし貴族の争いの激しい時代で、かつ1808年にはナポレオンのフランスに占領され08年から14年にかけてスペイン独立戦争が行われるなど、数々の激動の中で地位を守るために苦労した様子がうかがえます。いくたびか政争に巻き込まれながらも、何度も詫びを入れたり巧みに人を動かして切り抜けたりしています。その意味では小心翼々とした人物を思わせます。

 しかしその一方で、とても大胆で不可解な絵も描いています。その代表が有名な『裸のマハ』です。マハというのは「小粋なマドリード娘(男の子の場合はマホ)」という意味で、イメージとしたら日本の大正時代のモボ・モガみたいなものです。いわば町のチンピラ娘を裸にして描いたわけですから、大広間の壁に飾ることもできません。なぜ、何のためにこの絵を描いたのか。これはゴヤの生前も問題となり、注文主がだれか査問にあっています。後に描かれた『着衣のマハ』とともに、この絵は1901年までプラド美術館の地下に隠されたままでした。

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 ゴヤの不可思議は、四大版画集と呼ばれる版画集にも表れています。今回の展覧会にはそうした作品が数多く出品されていましたが、『ロス・カプリチョス(気まぐれ)』は俗悪な庶民や聖職者・上流階級の人々を風刺したもので、異端裁判を恐れたゴヤ自身によって、わずか数日で販売中止にしてしまいました。また『戦争の悲惨』はスペイン独立戦争の残虐を繰り返し描いたもので、グロテスクな場面が延々と続きます。

 いずれも首席宮廷画家としてのお上品な油絵とは全く趣の異なるものです。

ゴヤ 光と影」とても面白い展覧会でした。

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ゴヤの傑作として名高い「巨人」すでに2009年にゴヤの作品でないことが正式に確定していたそうです。今回初めて知りました。