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「『今は昔』と言えばなんでも通る・・・かもしれない(令和今昔物語)」~「不適切にもほどがある」が突きつけるもの③

 ただ浮かれ騒いでいたような昭和後期。
 ひたすら真面目でコンプラ重視の現代。
 まったく違うように見えて根は同じだ。
 きっとまた揺り戻しがある。
という話。(写真:フォトAC)

【1986年、最悪のバラエティ】

 「不適切にもほどがある」(TBS系列:金曜日)の第三話(2024.02.09放送)後半で、昭和と令和、それぞれの放送局に入り込み、番組制作の様子を交互に映して両者の違いを際立たせた場面は、実に圧巻でした。
 昭和の番組は登場人物によって「いま一番過激」と評価さるバラエティ「早く寝ナイトチョメチョメしちゃうぞ」。医者の扮装をしたMCのズッキー(ケーシー高峰のパロディ)は女性ダンサーの足の間を這い抜けて登場し、バニーガールの腰に手を回して酒を飲みながら司会を続けます。
 内容として紹介されるのは「スリーサイズを当てましょう」、「アダルト女優チームv.s新宿2丁目オカマチームv.s現役女子高生チーム対抗相撲大会」といった、昭和61年当時、確かに夜の10時過ぎにやっていた、くだらないゲームばかりです。
(もっとも「くだらない」と言ったのは当時の私の感じ方で、それも私が真面目な堅物だったからではなく、望んでいるものがさらに過激だったからなのかもしれません)

 ところが収録中に事故があって高校生の娘が頭を打って気を失うと、セクハラの権化みたいだったズッキーがまずカメラを止めさせ、いったん男性をスタジオから退出させるとブルーシートで気絶した娘を衆目から守り、女性スタッフを集めて女性だけで対応させるという、極めて紳士的な態度を見せたりします。細かなことですが、これも「昭和」でした。

【2024年、何も言えないバラエティ】

 一方、令和のスタジオで制作していたのは「プレミアム・サタデー」という名前の軽妙な情報番組で、観光地の鍋料理の紹介などが中心のようです。
 ドラマではスキャンダルのために本来のMCを急遽おろし、たまたま番宣(番組の宣伝)で来ていた八嶋智人(本人役で出演)に代役を頼むところから俄然むずかしく、また面白くなってきます。なにしろ口八丁手八丁「芸能界にしれっと潜り込んでくる」八嶋智人ですから留まることを知らない。絶妙で軽妙なおしゃべりは延々と続く・・・と。
 ところがスキャンダルに神経質になっている番組の総合プロデュサー栗田(山本耕史)には八嶋の一言ひとことがすべてセクハラ・パワハラに聞こえ、VTR明け、CM明けのたびにいちいち謝罪させなくては気がすまなくなってくきます。
「『チョコを渡す相手はいるのかな~』は恋人の有無を聞き出そうとしているセクハラです」
「『髪切った?』がセクハラ案件なのは、ご存知ですよね」
「あと(土地名の)『なめがた』も、八嶋さんが言うと何かヤラしいことを連想しちゃうですよね」
「キリタンポって、下ネタでしょ!」
「(カニクリームコロッケが出てきて)中がトロトロ、(うどんが出て来て)麺がシコシコ(みんないやらしく聞こえる)」
 犬島渚役の仲里依紗が、
「気にしすぎですよ、このままじゃ八嶋さん、何もしゃべれないです」
と言うと栗田は、
「うん、自分でも分かんなくなっている。でも気にし出したらもう全部気になるんだよ!」
 そうしたガンジガラメは、部下に気を遣う令和の中間管理職や、女性中心の職場に働く男性たちにも日常茶飯のことでしょう。

【不易流行、日はまた昇る

 「不易流行(ふえきりゅうこう)」は蕉風俳諧の理念の一つで、「新しみを求めてたえず変化する流行にこそ、永遠に変わることのない不易の本質があり、不易と流行とは根元において一つである」とする考え方です。
 
 1970年、大学闘争が失敗に終わって学生たちが「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、キミに言い訳した」松任谷由実「いちご白書をもう一度」)日から、わずか十数年でとんでもない経済成長を果たし、まさにバブル景気に入ろうとしていた1986年「パパはチョメチョメ、ママもチョメチョメ」と浮かれながらも、日本人は生真面目な自分を忘れませんでした。それがあのセクハラ男ズッキーの見せた姿です。
 バブル崩壊の1991年以降、「失われた10年」だの「失われた20年」だのと言われる不況を乗り越えられたのも、そうした不易なものが守られてきたからでしょう。

 そして今、その真面目さが昂じて「何も言えない」「何も行動に移せない」世の中をつくってしまったとしても、私たちは必ずいつか、どこかに妥協を図ることのできる調和点を見つけられると、そんなふうに思うのです。
 実際にこの番組も、コンプラ最優先の時代に、コンプラに則って、反コンプラのようなドラマ制作ができる可能性を示しています。

【「不適切にも~」は令和の「今昔物語」、「今は昔」と言えばなんでも通る】

 宮藤官九郎がこのドラマで証明したことのひとつは、
「このドラマには不適切な表現及び喫煙シーンが含まれますが、時代による文化・風俗の変遷と、その是非を問うことを主題としているため、あえて1986年当時のまま放送します」
と断りを入れ、その上で実際に1986年の風俗を描けば、当時とそっくりの映像をいくらでも撮影して公表することができる、ということです。

 完全に同じ手法は取れないにしても、すっかりつまらなくなったと言われるテレビ業界で、これからも面白いことのやれる可能性はいくらでもあるのかもしれません。
(この稿、終了)