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「避難訓練は満点でなければならない」~実際の災害で、訓練以上のことができるはずがない

 今回の震災では釜石市内の児童生徒の、ほとんどが無事避難することができました。3000人あまりいる小中学生のうち、亡くなったり行方不明になった子どもは数名で、いずれも欠席したり早めに学校を出た子たちだけだったといいます。言うまでもなく、これは年間10回にも及ぶ避難訓練の成果です。教育の勝利といったところでしょう。

 ところで、よく避難訓練の講評で「今日はとてもよくできました。あってはならないことですが万が一ほんとうの地震や火事にあったときも今日と同じようにできればいいですね」といった話をされる方がいます。
 しかしいかがなものでしょう。

 火事だったら火の粉が舞い、校舎がめらめらと音を立てて燃え盛る中を訓練と同じように全員無言で、平然と避難できるとしたら何か恐ろしい気がします。火の粉が友だちの頭に落ちて、髪が燃え上がっても叫ぶことなく黙々と避難するとしたら、むしろそれは冷酷です。

 実際の火災の現場では、誰かがキャーギャーと叫び別の誰かがワーワーと泣きじゃくっているはずです。つまり訓練の7割もできたら上出来、というのが現実でしょう。だから訓練は100点満点でなくてはなりません。

 100点満点の訓練をして実際にはその7割しか達成できなくても、100点×0.7=70点の避難なら一人の子どもの死なせずに逃げることができます。しかし訓練が70点程度なら現実はその7割の49点。あるべき避難の半分もできないとしたら、誰かが死ぬなり大怪我をするなりということになります。

 釜石では常に質の高い訓練ができていたのでしょう。だから3000人もの児童生徒が助かったのです。

 ところで、この期に及んでも世間は「学力向上を!」と叫び続けています。

 今回の東日本大震災では、日本人の気高い態度・精神に世界から羨望の眼差しが向けられました。日本人はなぜあれほどの災害に対して平生を守っていられるのか、なぜきちんと並んで水や食べ物を受け取ろうとできるのか、一番困難なときにも自分より他人を優先し、感謝の気持ちを表すことができるのはなぜなのか。世界は不思議がりますがその答えははっきりしています。
 そうしたことを教え訓練した、辛抱強い集団がこの国にはいるからです。

 朝から晩まで、きちんと並びなさい、順番を守りなさい、自分より他者を優先し所属する集団を守りなさい、好き嫌いなく食べなさい、自分の仕事はきちんと果たしなさい、その上で余力があったら他人を助けてあげなさい・・・日本人は小さなころから(保育園も入れると10年以上も)こうした訓練を受けているのです。だからできるのです。

 私は最近、そうとうイライラして意地悪になっていますから、来年から避難訓練を半分にして児童・生徒会活動も減らし、団体生活よりも個人を重視して数学や国語の時間を増やし、一人ひとりの学力が伸びるような、そんな学校にして世間が誉めてくれるかどうか、見てみたい気がしています。