カイト・カフェ

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「学校の常識は、世間の非常識」~そもそもが非常識な労働を強いられている

「学校の常識は、世間の非常識」
・・・という言い方があります。

 個人的な感想で言えば、学校の外にいたときより中に入ってから、目上の先生から指導される際に多く言われるようになった気がします。

 では何が非常識なのかというと、例えばネットで調べてみると、
「自分は頭がよいと思って偉ぶっている」「マニュアル人間」「余計なことに苦労をしたくないと思っている」「町内会の清掃の日に『うちは教師なんで参加できない』と言った」「挨拶をしても、挨拶を返してくれない」「学歴が上か下かで態度を変える人がたくさん」「時間が守れない」「約束が守れない」と、これはどう考えても「そういう人もいるよな」という範疇のものが半分あります。

 もちろん、幼小中高で「教師」と呼ばれる人は100万人近くいますから「100人に一人という奇人」だけでも1万人、非常識な教員は確かにいます。しかし、だからといって教師が非常識なわけではありません。

 一方、「大事な連絡を忘れるのです」「時間が守れない」「約束が守れない」「縦のつながり、横のつながりが薄い」「勤務態度がルーズだ」「服装がだらしない」といったものもあって、こちらの方は「少し反省したほうがいいかな」とも思います。しかしそれも「教師は〜」という問題ではないでしょう。

 最後に、「学校内で刑事事件相当のことがあっても 警察に通報せずに処理しようとするところ」とか「理想主義」「非常識というより世間知らず」「企業人としてはやっていけない」とかいった話もあって、こちらの方は頷けます。
 もともと私たちは常識の世界に住んでいるわけではないからです。

 調整手当てなどという微々たるお金をもらって毎月(平均で)35時間もの時間外労働を平気でする人が常識的であるはずはないのです。年間に有給休暇が40日もありながら毎年四分の一も使い切れず、常に積み残すような日々。そのくせ土日はやたらと学校出てきて仕事をしていますから、休んだ有給の何倍もの日数を休日出勤していたりします。

 これも常識では測れない仕事ぶりです。

 努力や成績、新しいアイデアがそのまま収入に結びつかないのにそれでも頑張り続けるという態度も普通ではありません。

 私が教員になって最初に「ここは違う世界だな」と思ったのは、教師が果てしなく子どものことを真剣に考え、常に話し合っていることです。24時間教師をしていて、片時も子どものことを忘れません。

 前の職場(民間企業でした)はそんなふうではありませんでした。仕事が終わればオフ・スイッチをしっかりと入れ、別の人間になって職場を出ました。しょっちゅう飲みに出かけ、そこでは仕事以外の話をしていました。面白いこともたくさんありましたし、休日は自分のことだけに呆けていました。

 デパートの苦情係で、クレームのあて先を自分の携帯電話にして24時間いつでも待ち続けている人なんて一人もいないでしょう。せっかくの日曜日、頼まれもしないのに出かけていってオフィスの掃除や片づけをしてくるサラリーマンもそうはいないはずです。

 学校の常識は世間の非常識、それでけっこうです。教師は世間知らず、それもけっこうです。教員が世間の常識に従ってものごとを損得で割り切り始めたら、学校はとてももちません。保護者も児童生徒も、世間知に長けた狡猾な人間を教師に求めたりはしないはずです。