カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「お花祭りの日」~お釈迦様の誕生日です

 今日4月8日は潅仏会(かんぶつえ)、いわゆるお花祭りでシャカの誕生日のお祝いをします。私が子どものころは保育園の重要行事でしたが、今は仏教系の保育園や幼稚園でない限りは行うところも少ないでしょう。キリストの誕生日は祝われるのに釈迦の誕生日が外されるのはなんとも納得できないところですが。

 シャカの誕生は紀元前500年前後の4月8日ということになっています。生まれるとともに七歩あるいて天と地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と呟いたそうです。私が子どものころは何と傲慢な人だろうと思ったりもしました。7という数字は時間軸の「過去・現在・未来」の3に、空間軸の「東西南北」の4 を足した数ですので、まさに古今東西世界中のラッキーナンバーです。

 さて、この釈迦、通常、私たちはお釈迦様と呼んだりしますが正しい名前をゴータマ・シッダールタといい、インドのシャカ族と呼ばれる部族の王子です。贅沢な育ちをしたにも関わらず人生の無常に苦しみ、29歳で出家、35歳で悟りを得て仏陀(成覚者)となったといわれています。

 そのあと釈迦の様子についてはよく分からないのですが、後年のイエス・キリストマホメットと決定的に異なるのは布教に対して非常に不熱心だったことです。自分の手に入れたものは一般の人には理解できないからと、そんなことらしいのでが、そこから弟子たちが忖度する部分も多く、さらに釈迦の言葉や業績が文書にまとめられるのは仏陀入滅後100年(一説には200年)のちのアショカ王まで待たなければならなかったので、様々な異説が入り込んでしまいます。

 またその後も「仏陀が私の夢枕に立ってこのように語られた」といった言い方で大量の仏典が作られたので、どれがどれだか分からなくなり、その解釈によってものすごい数の宗派が生まれてしまいました。ひところの日本では五系十三宗五十六派といいましたが、現在はそれより増えているはずです。しかしそうした宗派すべてを飲み込んでしまうような懐の深さも、仏陀の魅力なのかもしれません。

f:id:kite-cafe:20210528155958j:plain

  ガンダーラの美術品に「苦行せる釈迦」という像があり、私は本物を見たことがありますが、ガリガリに痩せてすさまじい顔をした像でした。

 釈迦は6年の苦行の末にその無意味を知り、山を降りて沐浴し、村娘が差し出した乳粥を食すと(のちに菩提樹と呼ばれる)ピッパラの樹の下で瞑想に入り、49日目に悟りを開きます。その内容は人に知らせるつもりがなかったのですが、梵天帝釈天に請われてかつての5人に仲間の住む村に行き、そこで最初の説法を行って仏教の礎が定まります。

 この釈迦に苦行のあと食した乳粥には「サルピス」と呼ばれる天の汁が混ぜられていたとされ、これが「カルピス」の語源になります。またサルピスは中国で「醍醐」と表記され、その醍醐(=サルピス)の味のようなすばらしさを「醍醐味」といいます。さらに乳粥を与えた村娘の名は「スジャータ」で、こちらはコーヒー用ミルクの名前になりました。5人の仲間の住んでいた場所は鹿野苑(ろくやおん)といいます。これは今度3年生が行く鹿苑寺金閣の名と関わりがあります。うまくできていますね。

 先ほどの「苦行せる釈迦」を私は世界最高の像だと思うのですが、さらに有名な像であるミロのビーナスが発見されたのも、驚いたことに今日4月8日です(1820年)。これもうまくできた話です。