明日2月11日はトーマス・エジソンの誕生日(1847年)だそうです。
偉人伝というものがさっぱり流行らなくなってからはほとんど名前しか知られない人でしたが、最近は「エジソンも発達障害だった」といった言い方で、妙な見直され方をしています。
確かに、異常な量とスピードの発明の数々(特許を取ったものだけで千を越えています)や、自らの発明の権利を守るために訴訟に執念を燃やして「訴訟王」とまで呼ばれた経歴を見ると、何か持っていそうな人ではあります。学校にはまったく馴染めなかったようで、元教師の母親が実験室まで与えて教育しました(その意味ではエジソンはすごい人で、母親は偉い人でした)。
「天才とは99パーセントの汗と1パーセントのひらめきだ(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.)」というのはエジソンの有名な言葉で、日本でもアメリカでも努力の大切さを表す言葉として使われますが、エジソン自身はそんなふうに思っていなかったようです。
この文では「パースピレーション(発汗)」とかけるために「インスピレーション(ひらめき)」を使っていますが、別のところで彼が繰り返し言っているのは、「スピリット」という言葉です。これは霊とか霊感とか、あるいは啓示と訳されるべき言葉で、つまり彼の言いたかったところは「努力するなんて当たり前、結局、スピリットがなければ天才ではないのだ」ということなのです。
エジソンは自分が次々と発明を行えるのは、宇宙のどこからかスピリットがやってくるからだと本気で考えていました。ですから最後には死者とどうしたら話せるかといったオカルティズムに深く傾斜し研究を続けていたりします。本当に自分が不思議だったのです。
さて、私は学校の中にもたくさんの「スピリットを持った人々」がいるのを知っています。
ある教師は立っているだけで児童生徒を魅了します。別に一般的な意味で見栄えがいいわけではありませんしむしろ野暮ったいくらいなのですが、なぜか子どもは言うことをききます。まっすぐにあとをついていきます。この先生のためなら何でもしようという気になっています(マラソンの小出監督みたいな人です)。
またある教師は何の仕掛けもなしに子どもたちに恐怖を与えます。一人はまだ二十歳代だった背の高い美人の教師でしたが、彼女が黙るとクラスが水を打ったように静まりました。またこれも二十歳代の、しかしずいぶんと小柄な男性教師は、彼が生徒指導で子どもを呼び出すと呼び出されたという事実だけで子どもが震え、涙を流して必要のないことまで白状したといいます。
また別の教師は、ろくな指導案も書けないのに授業は常に芸術的で、学習の目標を素晴らしく達成してしまいます。あるいは何の苦労もなく授業をやってしまうのでいつまでたっても指導案がうまくならないのかもしれません。
さらに別のある教師は、これが人間としては丸っきりの子どもで、いつもクラスのお山の大将として生徒たちを率いていないと我慢がならないのですが、そんなやり方に常に成功して気持ちのよい明るいクラスを作り続けました(そこが天才です)。
神の祝福から漏れた私は・・・うっかり自分を天才と思い込んで間違いを犯さないように注意しながら、いつも小さな努力を続けようと思っていました。