成人式 1

 昨日はA市の成人式に行ってきました。以前卒業させた子たちが成人となりました。
 式に先立って「打ち合わせ」があるというのでなにかと思ったらギンギンの生徒指導で、各出身校ごと配置を決めて、旧担任や現校長たちが張り付くように確認してからの出陣といった感じでした。もっとも私の勤務していた学校の卒業生は例年お行儀がよく、そんな必要はなかったのですが。
 その成人式について、いくつか思ったことがありますのでまとめておきます。

[1]なぜ彼らは騒ぐのだろう

 壇上に駆け上がって大暴れをするといったことはありませんでしたが会場は終始うるさく、来賓の議員の一人は祝辞の際に「何か、誰も聞いていない雑踏で選挙演説を始めるみたいですが」と皮肉を言うほどです。考えてみるとこんなにざわつくのはスポーツ観戦かコンサートぐらいなもので、どんな式典であろうと講演会であろうと、誰かが話し始めればほとんどに人は黙ります。成人式はその意味で、突出して特異な式典なのです。

 私は終始、なぜこの子たちは成人式に限ってザワザワとうるさいのだろうと考えていました。久しぶりに会う友だち同士、何か話をしたいとか近況を聞きたいとかはあるにしてもそれは後回しにしていいことですし、実際いくつかの学校の卒業生たちはきちんと黙っているのです。

 分からないまま50分あまりの式典が終わり、各校ごと記念写真を撮り始めて、その時なってようやく理解しました。この子たちは学校でやってきたことをそのまま踏襲しているということです。明らかに学校差があるからです。

 写真撮影もきちんとしている学校はきちんとしています。カメラマンの指示によく従い、撮影もあっという間に終わります。ところがそうでない学校の卒業生は並ばせるところから大変です。最前列の更に前に胡坐座になって並ぼうとする者、女性の塊りにちゃっかり入り込もうとする者、他の学校の記念写真にとりあえず入ってウケようとする者、ガムで口を膨らませている者、シャッターを切る瞬間に視線を外す者、突然こちらに向かって大きく手を振る者、Vサインをする者・・・つまりそれが「その集団」の慣れたやり方なのです。

 5年前もおそらくそうでした。校長講話も全校集会も真面目に聞かなかった授業もきちんと受けていなかった。私語をするのが日常で、話を真面目に聞く方が野暮ったい・・・その仲間が今日集まっているから、「その仲間の流儀」で今日を過ごしている、そうに違いない、と思ったのです。

 このおしゃべりのやまない子たちも、別の集団の中にいればきっと話なんかせず、静かにその場を過ごしているに違いありません。集団の縛りがなくなれば、それぞれその場に遭った行動をするに違いないのです。

 現代の若者が特に悪いわけではない、そう思うと同時に、やはり人生の再出発の時、そんな時こそしっかりできるよう、中学校時代からきちんとした集団を育てたいものだとも思いました。

 市長も来賓も、心に残るなかなかいい話をしたのです。

 それなのにかわいそうに、あの子たちは聞いていませんでした。