カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子育ての天才たち」~普通の親では気づけないことに心のいく人たち

 小学校図工の授業を見てきました。木工クラフトの授業でしたが、これを見ながら「造形遊び」の面白さ楽しさが初めて分かった気になりました。あれは子どもにしかできないすばらしい芸術です。家に持ち帰ったとき、保護者は一緒に喜んでくれるでしょうか?

 さて、子どもたちが作品を持ち帰ってとりあえず家庭で困るのは保管場所です。特に造形作品などはすぐに壊れたりして程なくゴミ箱行きということが少なくありません。

 これについて知恵を授けてくれたのは警察官官舎に住む保護者の方でした。何しろ警察というところは転勤が急ですので、家族はいつでも身軽にしていないと動きが取れなくなります。そこで子どもの作品は片っぱし写真にとって作品専用のアルバムに貼り付け、本体はさっさと廃棄してしまうのです。ある意味、埃をかぶって壊れかけたままにしておくよりよほど親切な保存方法です。これを知ってから私も自分の子の作品は極力写真にするとともに、クラスの保護者たちにも多くこの方法を知らせるようにしてきました。

 別の話

 大昔、友人の家に遊びに言ったとき、友人が三人の子を次々と胡坐座の足の中に置き、「お父さんのだ〜い好きな◯◯」と声をかけているのを見ました。そんなふうにして一人ひとりと話をするのです。すると一人の子が「一番すきなのは誰?」と聞きます。それに対して友人は「今、ひざの中にいる子」と応えます。これだと問題が起きません。ひざの中にいない子は、次にひざの中に入るときには一番なのですから。
 これはいいことだと思って、私も真似をすることにしました。子どもはいつも気持ちよさそうにしていました。

 第三話

 まだ土曜日に半日授業があって午後に部活動のあったころの話です。
 ある月曜日、生徒の日記を点検していたら前の週の保護者の欄にこんな記述がありました。
「先週の土曜日の朝は体がしんどくてお弁当が作れず、息子にお金を渡してコンビニ弁当を買わせ、それで済ませました」
 まあ、ありがちな話です。たまにはそういうことも仕方ありません。
「ところが帰ってくるなり息子は『あんな弁当を持っていたのはボクだけだ』とプリプリしていました。ああ、やっぱり・・・・」
とここまで読んで、続きは当然「無理しても作ってやればよかった」と書いてあると思ったらこのお母さん、まったく別なことを考えていたのです。
「ああ、やっぱり、男の子でもお弁当の作り方を教えておけばよかった」

 私は時々、世の中には子育ての天才がいて、そういう人には絶対にかなわないのではないかと思うときがあります。
 作品アルバムのことも膝の中のとっかえひっかえのことも、「お弁当の作り方を教えておけばよかった」も、聞いて真似することは大したことではありませんが、それに気づくのは容易ではありません。

 私はこうした点に関してもまったくの浅学非才ですから精一杯勉強しようと、そんなふうに思って今日まできました。そしてそれとともに保護者の中にも気の毒なほど(この方面での)センスが悪い人がいます。そうした人々の悪口を言うのではなく、これも精一杯援助しようとそんなふうに思ってきました。