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「塾も学校もそれぞれ特殊な場」~勉強を教えるのは塾の先生のほうがうまいという幻想について①

「勉強を教えるのは塾の先生のほうがうまい」といった話が平気で語られ、教員がそれに反論しないばかりか、東京あたりでは塾講師を招いて義務教育の教員の研修会が行われたりするので、なおこの話は真実めいてしまいます。しかし、私は若いころ8年近くも塾の講師をしていましたので自信を持って言えるのですが、真実はこうです。
「塾の先生にも、教えるのがうまい人もいればへたな人もいる」

 それは当たり前で、特定の集団が均等に優秀などということはありえないのです。それにもかかわらず塾の方が教え方がうまいという話が出てくるのは、なんと言っても塾で成績を伸ばす子がいるからでしょう。それは間違いありません。しかしなぜ、塾は成績を伸ばすことができるのでしょうか。

 そこにはさまざまな条件の複合があります。それはたとえば、「塾には、勉強に関して本人または保護者が困惑しきった子が来ている」という事情です。

 本人が困って塾にきている場合、ほとんどは成績の大きな伸長が期待できます。塾は基本的に個別学習ですから、本人の分からなくなった位置まで戻ってやり直します。当然、成績は上昇していきます。これは学校ではなかなかできないことです。また、本人もやり直しの気持ちできていますから、これも成績の上げやすい条件です。

 ただし親が困って塾に送り込んできたタイプ子の中には、伸びないどころかむしろ成績を下げてしまう場合もあります。それは塾でたいした勉強もしないのに家に帰って「塾でやってきたから」といってまったく勉強をしなくなった子です。ですから何でも塾にやればいいというわけではありません。

 もうひとつ、
 塾の講師をしている最中に気づいたことですが、塾の私のクラスには私のことが嫌いな子は独りもいないのです。クラスに残っているのは私が好きか私に我慢できる子だけであって、ほかの子は辞めてしまいます。それだけでクラスの質が整ってきます。子どもたちは基本的に授業をよく聞きますし、理解も進みます。生徒指導のためにクラスを放り出して廊下で指導ということもありません。

 さらにもうひとつ、
 多くの塾は受験に特化していますので、学校の授業では当然とされているのに絶対にやらないことがあります。それはたとえば国語の朗読といった授業です。俳句を作ったり作文を書いたりということもありません。英語で言えばリスニングはあっても話したりボディ・ランゲージまで確認したりということもありません。教える内容が非常に狭いので、効率がよいのです。

 そう考えると、そもそも塾と学校の教師を比較すること自体が間違っているとしか思えません。

(この項、続く)