カイト・カフェ

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「正義が世界を崩す」~角を矯めて牛を殺す話

 大阪地検特捜部の前田某が証拠品のフロッピーディスクを書き換えた問題が、連日トップニュースとなっています。

 もちろん犯罪捜査の最初の段階で証拠の一切合財を持っていってしまう検察が、その証拠を作り変えてしまうというのはたいへんな犯罪です。そのようなことが日常的に行われるとなると、日本はあっという間に検察国家になってしまいます。しかも二人の上司がこれをかばい、意図的な行為ではなくミスとして処理しようとした、これはまさに組織犯罪であって、特捜部解体が叫ばれる(ライブドアのアンケートでは75%が「解体すべき」、「存続」はわずか17%))のは当然です
・・・とここまで書いて、それはほんとうかな、首を傾げます。

 証拠の改竄をしたのは前田某であって特捜部が組織を挙げてやったものではありません。二人の上司は改竄を”ミスに改めよ”と入れ知恵をしたのであって、改竄と隠蔽は別の問題です。

 しかもこの犯罪が外に出たのは同僚検事の内部告発があったからであり、少なくとも4人の検事が「前田の動きがおかしい、早く調査しないとたいへんなことになる」と強硬に上司を説得しようとしています(そのうちの一人である女性検事は泣いて訴えたといいます)。これはたいへん立派な自浄作用だったと思うのですが、この人たちの快挙をマスコミも政府も評価することはほとんどありません。同僚の、しかも地検のエースと言われる人間を検察の威信のために告発したのにも関わらず、です。それどころか大阪地検の組織犯罪という言い方でその4人も犯罪者の仲間に数えてしまい、特捜部は「ほとんど壊滅状態」ということになっています。

 地検特捜部というのは田中角栄元首相のロッキード事件を暴いたあたりから注目された組織で、通常の「警察が捜査し上がってきた資料を検察が判断する」といった手続きによらず、一から十まで自前で行う強力な機関です。いわゆる「巨悪」「疑獄」と呼ばれるような政治がらみの犯罪は、特捜部のような権限と能力を持った人々が時間をかけて行うべきことで、一検事の犯罪をもって潰していいはずの組織ではありません。

 一部の犯罪乃至はミスをもって「これは一個人の問題ではない」「組織疲労」「組織崩壊」「機能不全」というのはマスコミの常套句です。医療も教育も同じやり口で崩壊の瀬戸際にまで追い込まれました。

 不登校がなくならない、国際比較での順位が下がった、異常な少年犯罪があとを絶たない、それらはいずれも事実です。しかし教育は死んだ(=教育再生)というほどのことではなかったはずです。どう控えめに見積もっても日本の教育は現在も世界最高水準で、就学猶予も落第も体罰も放校ない制度のもとで、子どもの知育・徳育・体育のすべてを背負ってこれだけの成果を出している教育組織は世界に例がないでしょう。また国内だけを見たにしても、学校を潰したあとで、それに代わって子どもたちを組織的に教育する機関はないはずです(一部の国では教会が、旧共産主義国では政治局あたりがやってくれるかもしれませんが)。

 私には大阪まで行って地検特捜部を守ろうという意思も力も時間もありませんが、少なくともこの学校においては、日本の教育を強力に守っていこうという強い気持ちを持っています。