カイト・カフェ

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「日本社会から甘えをなくすと、結局は欲しいものに手を伸ばす者が勝ち」~世代間のすれ違う思いと接点④

 ポストコロナの生き方、たいへんなのはむしろ若者たちだ。
 指をくわえていても誰も助けにきてくれない。
 自分で取りに行った者が勝ち、コミュ力が勝負の分かれ目、
 という実につまらない結論――
という話。(写真:フォトAC)

【たいへんなのは、むしろ若者】

 昨日は、
パワハラ・セクハラの危険はあるが、中堅・ベテラン社員よ、勇気を出して若者に教え、諭し、鍛えてあげよう。若者もけっして忌避はしてないよ」
というお話をしました。しかしこの《世代間のすれ違いと接点》という問題、難しいのは中高年ではなく、むしろ若者の方なのかもしれません。というのは見てきた通り、若者の方から積極的に進まないと、周囲から手の伸びてきにくい時代になっているからです。しかも日本の社会は、もともと先輩が手取り足取り仕事を教える前提で成り立ってきていますから、先輩たちが手を控えると、自分から手を上げる以外に代替えの方法がないのです。

【かつて企業は家族だった】

 第二次世界大戦で国土が灰塵と化した日本が先進諸国に追いつくためには、非常に質の高い企業戦士を育てなくてはなりませんでした。それは学校教育だけでは到底追いつくものではなく、したがって企業内教育によって補うしかなかったのです。戦後日本はそこをうまくやりました。
 
 職場に弟子や丁稚として子どもを入れ、時間をかけて育てる徒弟制度は、意識の上では十分に残っていましたし、組織を親子関係に見立てる考え方は、下はヤクザの親分・子分、上は国民を《赤子(せきし)》と呼んだ天皇制まで、この国にはとても定着しやすいものでした。したがって企業倫理の中にもあっという間に吸収され、経営陣は両親のように社員の未来や生活に責任を持ち、先輩たちは兄や姉のように後輩の面倒を見て育てる、後輩たちも企業内の最前線で身を粉にして働き、兄や姉、親たちのたちのために働くという構図が、長く続いてきたのです。
 
 世界中で若者の失業率が問題となっているときも、わが国では若者の失業だけが取り出されて問題になったことはありません。就職氷河期・超氷河期と言われた平成の「失われた10年・20年」ですら、職種さえ選ばなければどこかに就職できたからです。
 何の技術もない手ぶらでも雇ってもらえる国ですから、第一志望が旅行業界なのに結局は運送会社就職した、といったことは容易に起こるのです。
 しかし多くの国々では即戦力しか職にありつけませんから、学生といえど旅行なら旅行と自らを特化してスキルを高め、挑戦して行かなくてはならないのです。したがって旅行会社がダメだとなったら他に行く場がありません。必然的に失業者となって次の機会を覗うことになります。そこが日本と違うところです。

【日本社会から甘えを排す】

 だからといってもちろん、いいことばかりではありません。
 組織といえど仕組みを家族関係になぞらえてしまうと、どうしてもだらしない部分、甘えの部分が出てきます。風呂上がりの父親が半裸で居間をうろついて妻や娘から「お父さん! いい加減にしてよ!」と煙たがれたり、遠慮なく大声で罵り合ったり自分の生活スタイルを押しつけたりと、家庭内でよくあることが組織内でも起こります。 しかし“疑似家族”ですから、いちいち警察のお世話になったり裁判に訴えたりといったことは、これまでなかったのです。何となくナアナアで解決してきました。日本社会がいつまでもセクハラ・パワハラ体質を抜け出せない背景には、こうした家族のような互いの甘やかしや事象を曖昧に扱ってきた歴史があったのです。
 それを正そう、甘えていい加減に扱ってきた部分を、明らかにして改めるべきは改めさせようというのが現時点です。
 
 コロナ禍はダラダラと続いて来た企業内の家族主義を、いったん断ち切るのにとても有効でした。組織内の問題を本質的に解決することなく、ズブズブで覆い隠してきた飲みニュケーションの文化は中絶され、直属上司や先輩、同期とのコミュニケーションもコンピュータ越しでできるようになりました。
 終業直前に《今日、誘われたら嫌だな》と心患うこともなく、居酒屋の狭い席で感じる隣りの人間の膚のぬくもりや汗の匂い、焼き肉の甘い香りや煙のいがらっぽさ、どこからとも流れてくるすえた匂いやタバコ臭。向かい合わせの人間の口から飛んでくる唾の飛沫や流れてくる口臭、そういった泥臭いものから自由になり、日本の若者は《ひとり》を満喫できるようになったのです。
 ただし若者の全員が、それでよかったと考えているわけではありません。

【欲しいものに手を伸ばした者が勝ち】

 NHKの『Dearにっぽん』「会社員フォーエバー~新宿高層ビル のど自慢大会」が提示したのは、若者のそうした一面です。
 ベネッセの“まりりん”は「自分の力だけでは見ることのできなかった景色を見られるのは楽しいだろうな」と考えて、のど自慢大会に出ることで、実際にそれを体験します。IT企業の陰キャラ木村さんも「先輩たちが今までこうやって楽しんできた、というのを(のど自慢で)追体験していく感じ」を味わっています。

 ここにいたって、私は呆れるほど平凡な結論にたどり着きます。それは、
「かつてのような先人たちが価値を押しつけてくる時代が終わってしまった以上、自ら手を伸ばして価値を探り、もぎ取ろうとする人間の方が勝ち」
ということ。もっと簡単に言えば、
「結局はコミュニケーション能力のある人が有利なんだね」
というただそれだけのことです。
 欲しかったら手を伸ばすしかないのに、手の伸ばし方に熟達した若者は、それほど多くはないのです。
(この稿、終了)