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「まず隗より始めよ」~誤解された逸話と教育改革

 尖閣列島の問題に関わって「外務省の見通しに甘さはなかったのか」という問いかけに前原外相が「外務官僚は非常に有能で、あらゆる可能性を考えて対応していた。その意味で、今回のとは想定内のことだった」といった発言をしていました。良いことだと思いました。

 ここ10年あまり官僚は極悪人扱いで、中でも田中真紀子さんの「伏魔殿」発言以来、外務省は最低の悪の巣窟みたいに言われてきましたから、誰かが支えていかなければとてもやる気になれるものではありません。もちろん前原外相にしてみれば自分たちの対応の甘さを指摘されているのですからそれを糊塗するために「官僚は優秀だ」と言った側面もありますが、自分たちの最上位の上司からこうした言い方をされれば多少は救われると言うものです。

「まず隗より始めよ」と言う言葉があります。最近は「言い出したものからまず襟を正せ」とか「言い出しっぺから、身を正せ」といった言い方に使われますが意味はまったく逆です。
 この話は中国の古書「戦国策」の中にあります。

 紀元前4世紀の末頃、燕(えん)の国は隣の斉(せい)の国に国土の大半を占領され、国王までもが殺されてしまった。そこで、次に即位した昭王(しょうおう)は、何とか国の力を回復させようと考え、そのためには優れた人材を集めることが重要だと思い立った。そこで宰相の郭隗(かく・かい)に相談した。すると、隗はこう答えた。

「昭王よ、こんな話があります。
 昔、ある君主が千金を出して1日に千里を走る名馬を買おうと思いましたが、3年たっても見つける事ができません。すると、宮中にいたある男が進み出て、私が買ってきましょうと申し出たので、その男に千金を渡して買いに行かせたのです。その男は千里の馬を見つける事ができましたが、惜しくも一足違いでその馬は死んでしまっていたのです。すると、何を思ったか男は、死んだ馬の骨を五百金で買って戻ってまいりました。君主は、死んだ馬を五百金も出して買ってきたことを怒りました。しかし、その男は言ったのです。
『あわてずに少々お待ち下さい。王は死んだ馬にさえ五百金出したのだから、生きた馬であればもっと高く買うだろうと考え、人々は続々と良い馬を持ってくることでしょう』
と、はたして1年も経たないうちに千里の馬をたずさえた者が3人も現われたそうです。
 今、昭王が賢者を集めたいとお思いならば、まずこの隗を重く用いる事です。あの凡庸な隗でさえあれほどの厚遇を受けているのだからと、全国の有能な士が次々集まる事でしょう。」

 昭王はその話を聞き、隗のために立派な宮殿を建て、特に厚く遇した。すると、そのうわさは各国に伝わり、趙(ちょう)の名将である楽毅(がくき)や政治家の劇辛(げきしん)、陰陽学者の鄒衍(すうえん)などの優れた人物が集まりはじめたという。そして、ついに昭王は斉の国を破るだけの国力を得ることに成功した。

「まず隗より始めよ」の原義は「人材を集めたければ、いま有る者を重用しなさい」ということです。そこには、人間は叩けばなんとかなる、評価し給与や待遇で差をつければもっとよくなる、といったものとはまったく別の発想があります。
 前原外相のやったように、上に立つものはまず部下を評価し大切にしなければ志気に関わります、それと同時に人材も集まってきません。

 各種の教育改革のことを考えるときも、私は「まず隗より始めよ」を思い出します。
 教員の質、教師の指導力を問うなら、まず今、教員の立場にある者を厚くもてなさなければならない。そうしてこそ、有能な人物がこの職に集まり、自然と質は高まるのです。

 そう私は思います。