カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「日本をアメリカにしたくない」~子育てや教育をアメリカに学ぶ愚かさ

 23日夜、東京・新宿区の京王線新宿駅ホームで慶大名誉教授の佐藤方哉さんという方が酔っ払いに押されて転落し、列車に挟まれて亡くなりました。作家の佐藤春夫の長男に当たる人だそうです。

 この方哉さんについては知りませんが、お母さんは文学史上、奇妙なエピソードで有名な人です。というのは、もともとは谷崎潤一郎の夫人で、それを佐藤春夫が横恋慕し、結局協議の上で谷崎から佐藤に譲り渡されるという事件があったからです。「細君譲渡事件」として新聞などでも報道され、大きな反響を呼び起こしたといいます。
 実に円満な「譲渡」であったらしく、離婚成立後、三人連名の挨拶状を知人に送ったり、生まれた子どもに方哉という名前をつけたのも谷崎だといいますから、昭和の文人の神経は理解できません。
 さて、しかし今問題にしたいのはお母さんのことではなく、方哉さんの事故についてです。

 この事件について一昨日夜のニュース番組で、あるコメンテータがこんなことを言っていました。
―とにかく日本は酔っ払いに寛容すぎる。私はここ数年アメリカに住んでいるが、アメリカ人だって酒は大量に飲むものの、公私の別はわきまえ、家の中で飲んでも公共の場で酔っ払うことはほとんどない。公の場で酔っ払うことはその人の人格を疑われ、問題とされるために、街を酔っ払いが歩くということはない。その点、まだまだ日本人は未熟と言える。
 そんな内容です。

 アメリカ人の方が道徳的に成熟しているなどといったタワケた話は聞きたくもありません。ニューヨークっ子が泥酔して街を徘徊しないのは、もっと現実的な理由があるからなのでしょう。そのことは、ニューヨークで酔っ払って寝込んだら何が起こるか、想像してみれば容易に分かることです。

 文化は高いところから低きに流れますから様々な考え方や事物がアメリカからやってくるのは仕方ないにしても、だからと言ってそれが正しいわけではありません。日本が酒やタバコに厳しく銃に寛容な国になったほうがいいと思う人はいないでしょう。

 同様に教育問題に関しても、アメリカ発の思想・制度・方法が無定見に日本に入り込んでいます。学校自己評価・危機管理マニュアル・学校マネージメント・PDCAサイクル、みなそうです。

 松居和という人は「子育てのゆくえ」という本の中で,
『家庭の問題に関して「欧米では」ときたら、まず反射的に「それは真似してはいけないこと」と考えるような癖がついている』
と言っていますが、私はアメリカから「教育」を学ぶことにも基本的な不信感があります。学力・非行・中退問題、どれをとっても日本の方が圧倒的にいい状態にあります。「身分が違う」といいたくなるほど日本のほうが優れているのに、あえてアメリカから学ぶ理由が分からないのです。
 もちろん日本より学力の高いと言われているフィンランドや韓国・香港や台湾から学ぶと言うなら理解もできますが、アメリカはダメです。

 しかしそれにしてもフィンランドはともかく、韓国や香港・台湾から学ぼうという話がまったく出てこないのは、これが民族差別でないなら根本的なところにまやかしがあるということです。