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「種子島」~今日は鉄砲伝来の日

 今日8月25日は日本に鉄砲の伝えられた日(1543年)といわれています。

 伝承によればこの日種子島に漂着した中国船に鉄砲を持ったオランダ人がおり、この人物から時の領主種子島恵時・時尭親子が2丁の鉄砲を購入、部下に命じて複製をつくらせたのが日本の鉄砲の始まりとされています。

 当時の優秀な刀鍛冶によって銃身はすぐにつくられたものの、筒の一方をふさぐネジの切り方が分からず、時尭は娘を差し出してオランダ人から秘密を聞きだそうとしたとか様々な逸話が残っていますが、当時の日本の技術水準はそうとうに高く、その後日本で急速に改良・量産され、あっという間に全国に広がるようになります。

 一般に火縄銃の威力はさほどでないように思われていますが、戦国時代の書物に「鉄砲は威力がある。鎧兜を付けていても、魚のふぐと同じで当たったら死ぬと思え」といわれたくらい、実際には強力なものでした。銃によってその差はあるにしても、弾丸の飛距離は400メートルほど、生身の人間なら200メートルでも殺傷でき、50メートル以内だったら装甲も貫通できました。装甲というのは単純に貫通するものではなく、金属の破片が体内に飛び散る感じになるので実際に当たるとむしろ死亡率は高まるもののようです。

 また、一発撃つごとにとても時間がかかったようにも言われますが、実際には熟練した兵で1分間に4発も撃てたようです。

 私は研究授業で織田信長の授業をしたとき鉄砲の値段を1丁150万円と計算しましたが、現在、普通は50万円〜60万円だと計算します(実際にやってみると「今の値段でいくら」という計算はものすごく難しいのです)。そうなると織田軍が持っていた3000丁の鉄砲というのはそれだけで総額15億円。他の戦国大名だって鉄砲の威力を知らないわけではありませんが、信長くらいの財力がなければ揃えられるものではなかったのです。
(ちなみに、このときの研究授業は信長が非常に恵まれた土地に生まれていたこと(美濃・尾張そして隣りの越前・近江などは当時の有数の穀倉地帯)、また有力な鉄砲産地、国友・堺などをあっという間に抑えてしまったというその経済性に目を向けさせるものでした)

 もっとも種子島時尭が最初の2丁の火縄銃を買い求めたとき払った金は金2000両(約1億円)と言われていますから、50万円は高いものではありません。これも当時の日本の高い生産性による大量生産の賜物です。
 戦国時代末期、日本の保有した鉄砲の総数は50万丁、世界最大の保有数です。

 それにしても不思議なのは、戦国時代が終わるとあれほど隆盛を極めた鉄砲生産や改良がまったく止まってしまい、武士たちの興味が刀や槍に戻ってしまったことです。誰が考えてもこちらの方が威力があるのに、徳川270年間、鉄砲はまったく進歩しません。

 現在の種子島には種子島宇宙センターをはじめ、様々な宇宙開発関連施設があります。400年前の技術先進地は今も最先端を行っているというのも何か因縁めいています。